第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2023年
第28回入賞作品

佳作

席替え 森 とき子(74歳 無職)

 私の小学校入学は六十八年前になる。
 式の当日、六年生のお姉さんが席は前から背の順に並ぶ、と言って、教室の一番後ろの席に座らせてくれた。ふたり分がくっついている木製の机だった。隣に貼ってある名前の男の子はどんな子なんだろう。どきどきしながら待った。やがて案内されてきたのは、丸坊主で色白の、背の高い子だった。
 当時はベビーブームと言われた頃で、隣近所には大勢の子どもがいた。まいにち誘い合わせて野山を駆け回り、川で遊んだ。だれもが日焼けしていた。
 私も真っ黒だったから、隣の男の子の色の白さにびっくりした。ちらちらと盗み見すると、その子はじっと前を向いている。
 私は毎朝、学校へ行くのが楽しみになった。隣の席の、まっちゃん、と呼ばれている美少年に会えるのだ。
 そして話をするようになったのは早かった。一番後ろの席で先生の目の届かないのをいいことに、しょっちゅうひそひそ話をした。
 一学期の終わった日、まっちゃんは私に耳打ちした。「俺んちに遊びに来るか。俺の世話している子牛を見せてやる」と。「絶対に行く」と約束した。
 でも行かなかった。「そんな遠い家にひとりで行くもんじゃない」と母の反対にあったからだ。
 まっちゃんの家と私の家は、学区の端どうしで離れていたのだ。約束を破って、まっちゃんに嫌われてしまう、と私はいつまでもぐずった。夏休み中も落ち着かなく過ぎた。携帯はおろか電話すらなかった頃だ。
 二学期が始まり、まっちゃんの笑顔にほっとしたが席替えになってしまった。
 持ち上がりで二年生になり、三学期になった。「席は好きな人同士で座りなさい」の先生の一言で、みんなどよめいた。
「ときちゃん、一緒に座ろう」
 まっちゃんが言った。私が二つ返事だったことは言うまでもない。冷やかされてもへっちゃらだった。
 でも、六年生まで同じクラスになることはなかった。中学生になっても別々のクラスだった。そしてまっちゃんは、男子高校に進学した。

「とき子、まっちゃんを覚えとるだろう」
 四か月後に結婚を控えていた私に、叔父から電話があった。同じ県内の七十キロほど離れた土地で自動車整備工場を経営していた叔父の元へ、駐在所の若いお巡りさんがよく巡回に来ると言う。懇意になって出身地や出身校を話している内に、小学二年の席替えの話になった、と叔父は言った。それでな、ときちゃんにお祝いを言いたいって言うから、是非出席してくれるよう約束したからな、いいだろう、と続けた。
 まっちゃんに会うのは、中学卒業以来の十年ぶりだ。どきどきが止まらない。
「花嫁の席に男がいるなんて、どこの世界にそんな話があるんだ」
 父の強硬な反対で、まっちゃんの参列は叶わなかった。私が約束したわけではないけれど、小学一年のときと同じように、また約束を破ってしまった。
「兄さんは堅物だからなあ」
 叔父は式場で私にささやいた。

 古里を遠く離れての結婚生活。毎日が慌ただしく過ぎていく。子どもの反抗期で悩んでいた頃、母が電話をしてきた。
「まっちゃんがな。高速道路で事故処理をしていて、走ってきた車と接触したそうだ」
 妻とふたりの幼子を遺したその死を悼む声が新聞に載っている。優しくてだれからも慕われていたようだよ、と言った。
 丸坊主の色白で、恥ずかしそうに上目遣いのまっちゃんは、ずっと私の胸にある。