2023年
第28回入賞作品
大賞
紙のお弁当を持って 小座間 めぐみ(35歳 会社員)
約束をするという事は、お弁当を作る事に似ていると思う。自分や相手の為に、必要な物を持てる分だけ選び、詰め、結ぶ。少なすぎれば心許ないし、多すぎれば潰し合う。雑に扱えば、何かがこぼれ落ちてゆく。かつての私は、「母親としての約束事」を詰めすぎて、押潰されそうになっていた。
正直、「しんどいな」とは思っていた。
子供の食事は主菜副菜汁物バランスよく。化学調味料はなるべく避けて、出汁から手作り。メディアは一日一時間、就寝時間は二十時半。子供の為にと詰め込まれる母親への約束事は、私の容量を軽々と超えた。約束の相手は、どこぞの専門家か、はたまた世間様か。それさえ知らぬ約束は、それでも私の視野を狭め、耳を塞ぐには十分だった。次第に、長女の「ママ聞いて!」が煩わしくなり、その小さな背に隠し持った、私の似顔絵にも気付けない。気付いた時には後の祭りだ。長女はソファの隅で、黙ってテレビを見ていた。それに謝る余裕もなく、次女が抱っこをせがみ、泣き叫ぶ。そんな日々に、もう疲れたな、なんて思った矢先だった。
目の前の医師が、私に癌だと告げた。待合室から見える桜が、妙に綺麗だった。周りは私を励ました。だが当の私は、少しほっとしていた。病気なら、母親としての約束を果たせずとも、何も言われないだろう。
そうして始まった治療の日々、もとい娘から離れた日々は、何とも物足りない、と言うより、心許ない日々だった。あれだけ育児から離れたいと思っていたのに、勝手なものだ。手術の痛みも治療の副作用も、点けっぱなしのテレビのようで、ただ流されては過ぎていく。そして気がつけば、呆気なく桜は散り終え、蝉の声も聞かぬ間に、落ち葉が散り始めていた。
治療は半ばを迎えた。薬の影響で、髪も睫毛も、食欲も無い。そんな頃、娘達から贈り物が届いた。ピンクのリボンが付いた、白いビニール袋だった。中には、紙とテープで作られた白い箱。蓋も付いている。壊さないよう、そっと取り出し蓋を開けた。中にあったのは、紙で出来た卵焼き、野菜炒め、タコさんウインナー。紙のお弁当だ。私がご飯を食べられないと知り、長女が作ったのだという。そして、そこに添えられた私の似顔絵と、「ままやさしい」というメッセージ。涙が溢れた。感謝と喜びと、悔いの涙。いつも怒鳴ってばかりで、優しくなんてなかった。似顔絵の私のように、笑顔で娘と話したのは、一体いつの話だろう。私はずっと、約束を結ぶ相手を間違えていた。子供の為にと言うならば、娘自身と約束を結ぶべきだ。こんな私を、まだママと呼んでくれるなら。次は、ママがお弁当を作るから、好きなおかずを教えてほしい。今度はちゃんと、話を聞くから。私はそう、娘と約束を結んだ。
数ヶ月後。治療を終えた私は、キッチンで悩んでいた。命題は、ウインナーを使うかどうか。ウインナーは、添加物が多いから、避けてきた食材だ。その時、長女が言った。
「タコさんウインナーにしてね!」
その一言にハッとする。また相手のいない約束に振り回されていたと気付き、決めた。
「タコさんウインナーにしよう!」
喜ぶ娘の声に、詰まった心が軽くなる。大丈夫だ、と思えた。迷った時は、娘と結んだあの約束を守れば良い。娘の声に、耳を傾ければ良い。子育ての不安は尽きないが、そこから救い出してくれるのも、大抵娘なのだから。そう思い、お弁当箱にウインナーを詰めた。今日は、お花見に行く約束なのだ。
約束のお弁当を、娘と詰めて、娘と食べる。そうして空いた箱に、また少しの約束を詰めるのだ。味噌は、約束は少しで良いってこと。
約束のお弁当箱は、紙のように脆いから。暖かな約束を、少しだけ。大切なあなたと持って出かけよう。他愛もない話でもしながらさ。