2022年
第27回入賞作品
10代の約束賞
また会おうね 秋山 武幸(15歳 中学生)
僕の通っていた小学校には海外の学校と交換プログラムがあった。幾つも選択肢があり、イギリスのドラゴンスクールだったり、ハワイのプナホウスクールであったり。どれもが魅力的だった。僕は五年生の夏、プナホウスクールとの交換プログラムに参加した。相手はCayden君だった。
先ずは僕がホームステイしにハワイへ向かった。空港で教師の一人がテロリストと勘違いされて、遅れてホストファミリーの元に辿り着いた。彼らと写真を撮り、お菓子のネックレスを貰い、車に乗せてもらった。
「HOW ARE YOU?」
であっただろうか。運転している父さんから聞かれた。
「アイム ファイン」
酷く緊張していたのを覚えている。その後も親切に色々質問を投げかけてくれた。父さんが京都大学に留学していたそうで、所々日本語で教えてくれた。然し、
「Yes」
「No」
「Thank you」
これくらいしか意思を伝えられなかった。
それでも何とかゲームや水族館、イースター、博物館、登山、海など楽しんだ。
その冬、Cayden君が日本にやってきた。神社やスカイツリーに行ったり、サッカーをしたり。その当時は凄く楽しんでいたのを覚えている。
六年生の夏、僕と友達の家族でハワイに再び行った。一日だけCayden君と再会できる日があった。公園で遊び、夕食を一緒にとった。何だか、その頃からもどかしさを感じ始めた。楽しいには楽しいのだが、行動自体が楽しいのではないか。酷い言い方をするとCayden君でなくてもいいのではないか。勿論、そんな筈はない。ただ、Cayden君と友達になれていない。そんな気がし始めたのだ。
どのくらい経っただろうか。ハワイからCayden君との写真がアルバムで送られてきた。九割方の写真がこちらを向いている。残りもよく見ると、全て黙っている。笑っている写真もちらほら見かける。ここでこう思ってみる。もし僕が彼と話せるほどの英語力があれば。事務的な、「はい」「いいえ」「ありがとう」だけでなく、もっと笑いあえただろうに。一生の友達になれただろうに。五年生だったのでそれが当たり前ではある。だが、どう自分を宥めても今になって後悔の念が沸々と湧き上がってくる。
アルバムの最後にはこう書いてある。
「We look forward to seeing each other very soon」
これを約束として受け取ろう。そうすれば希望を見出せる。まだチャンスはあるかもしれない。彼ともう一回会って話し合えるチャンスが。いや、Cayden君はもう僕を忘れているのでは、僕に会おうと言われても困るだけなのではないか、そんな心配が頭を過る。でもどうしても、あんな純粋で、見てる僕が笑ってしまいそうな笑顔を映った写真を見ると、もう一度やり直したいと思ってしまう。
僕は漸く身に染みて理解したような気がする、言語の重要性が。英語に限らずフランス語、韓国語も僕は勉強している。結局、互いの関係を結び付ける道具は言葉なんだ。
コロナの制限が漸進的に緩和され、長期休暇でまたハワイに行く機会があるかもしれない。その時は先ず、Cayden君と会って僕の思い込みである約束を果たしたい。最近はどうしているのか聞きたい。交換プログラムの思い出話しをしたい。笑顔に肩組みを加えた写真を撮りたい。そして何よりも、また約束をしたい。
「See you again soon」と。