2022年
第27回入賞作品
佳作
挨拶運動 柴田 真妃(13歳 中学生)
私は、挨拶を大切にしている。近所ですれ違った人や、家族にも挨拶することを心がけている。私が挨拶を心がけるようになったきっかけは、小学生の時だ。
私が小学生の頃、挨拶にとても厳しいと有名な先生のクラスになったことがある。その先生は、毎日、朝や放課後に生徒と一緒に正門の前に立ち、挨拶運動をしていた。また、生徒全員で行われる集会などで、挨拶の大切さを伝えるための紙芝居をしたり、挨拶の標語を廊下の壁などの目に入りやすい場所に貼ったりしていた。その先生は、挨拶をしない生徒に、
「挨拶しろ!」
と怒って、挨拶についてとても口うるさいため、クラスの皆はその先生のことを『あいさつ先生』と呼ぶようになった。
あいさつ先生は、毎日放課後に自分がどのくらい挨拶をすることができたかどうか、自己採点をする時間をつくり、挨拶をすることができなかった人には、
「何故自分が挨拶をすることができなかったのか反省文を書きなさい。」
といつも言った。また、一週間のうち一日は先生が行っている挨拶運動に朝か放課後、必ず参加しなければならなかった。
「朝っぱらから、挨拶運動なんてやってられないよな。」
「放課後の挨拶運動も、途中で帰ることもなかなか許されないし。」
「俺も塾があるから、今日は挨拶運動はできません、と言っても、ギリギリまでやれ!って言われたし。」
「挨拶運動をするなら、一人でしてればいいじゃん!」
「挨拶なんて強制的にやらせるものではないよ。」
このように、挨拶を半強制的にさせられることに、皆が少し違和感を持っていた。
あいさつ先生のクラスになってから半年が経ったある日、突然あいさつ先生が入院することになった。あいさつ先生は、入院する前日にも、
「お前ら、俺が入院している間にも、挨拶運動を続けろ。帰ってきたら、お前らがどれくらい挨拶できるようになったか確認してやる。約束だぞ。」
と言って学校を出た。
あいさつ先生が入院して、挨拶について口うるさく言う人がいなくなったため、挨拶運動を自主的にする人など誰もいなくなった。
「あいさつ先生が入院してから挨拶運動をしなくても怒られなくなったから、楽になった!」
と、皆が喜んでいた。
あいさつ先生が入院してから数ヶ月たったある日、担任の代わりをしていた先生が突然言った。
「君たちの担任の先生が、今朝、亡くなったそうです。」
その先生によると、あいさつ先生は三日前から容態が急変したそうだ。教室の中が静まりかえった。突然の出来事に皆が困惑しているようだった。
翌日から、誰がすると言ったわけでもなく、毎朝、正門前に生徒が立つようになった。挨拶運動を自分たちで行うことが、あいさつ先生へのけじめになると思ったからなのだろうか。一人、二人と、日に日に挨拶運動を始める人が増えていった。
「おはようございます。」
先生が入院していた時の静まりはなく、明るく活気のある正門前。教室でも挨拶が交わされる。挨拶運動を、皆が自然に気持ちよく行う。強制ではなく、生徒が自主的に。活気のある毎日となり、皆が気持ちよく過ごす。挨拶っていいな、と思えた。挨拶の素晴らしさを教えてくれたあいさつ先生に感謝したい。そしてこれからも挨拶を続けることを約束したい。