第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2022年
第27回入賞作品

佳作

改心 安倍 義朗(49歳 建築士)

 「起床!洗面後直ちに中庭に集合」チャイムの音と号令が室内に響く。
 30年たった今でもこの音に夢で目が覚めることがある。高校一年の夏だった。祭りの夜、不良グループに加担し、心の弱さから大きな過ちを犯してしまった。
 七ヶ月間、施設に入った。部屋にはテレビもラジオもなく、寒い冬の夜は布団にくるまって寝るだけだった。
 午前中は中学の座学と反省文をひたすら書かされ、午後は木工実習で主に本箱や椅子などを作った。実習の講師はK先生といういかにも職人風の眼光鋭い強面のオジさんだった。先生は作品の出来栄えよりも、基本の大切さや取り組む姿勢をすごく評価してくれた。
 「ヘタでもいい、丁寧に作れ!」が先生の口癖だった。宮大工の棟梁らしいK先生の言葉に僕は人間的な魅力を感じていた。
 謹慎期間が終え、保護観察になり自宅に帰った。母の内職を手伝いながら毎日ブラブラしていた。そんなある日、K先生が訪ねてきてくれた。僕は嬉しかった。迷わず先生に弟子入りを懇願した。夜は定時制高校に通い、もう一度まともな人間になることを約束して宮大工のスタートをきった。
 仕事は想像以上にきつかった。ドジをすれば容赦なく飛んでくる鉄拳、アザやコブのできない日はなかった。悔やしさと歯がゆさで泣き明かした夜もあった。いつかは日本一の宮大工になるんだ。そんな夢があったからどんな辛いことも我慢できた。
 学校から帰ると今日教わったことの復習と道具の手入れ、明日の段取り、それから今日の反省と日報を書いて親方に見てもらう。床に就くのは午前二時を過ぎる。朝は五時に起きて清掃、洗濯、七時には現場に出る。そんな下積生活が三年程続いた。寡黙で厳しい親方だったが、日報のコメントにいつも言葉で励ましてくれた。心に焼きついている言葉がある。“宮大工になる前に人間になれ”である。17歳の僕にはこの言葉の真の意味がよく分からなかったが、後に僕の人生の指針となる言葉となった。
 あと一年で年季が明ける。宮大工の面白さをやっと感じ始めていた頃だった。雨明けの現場で足を滑らせ屋根足場から転落した。腰椎骨折・脊髄損傷の大怪我を負ってしまった。入院、手術、リハビリ、自宅療養と二年間も仕事を休み車椅子に頼る生活になってしまった。“俺に未来などあるのだろうか”重い石に塞がれたように心は落ち込んだ。命を絶とうと何度も思った。こんな僕を見て親方は息子のように心配してくれた。
 「ヨシ!辛いだろうがな…足は不自由だって手は使える。頭だって働く。目も口も耳だって聞こえる。お前のやる気次第だよ頑張れ」
 僕はハッと我に帰った。自分の甘えに気がついた。
 次の日から工房での組子の製作をしながら設計の仕事を手伝い始めた。建築のデザインを考える仕事は、現場とはまた違った面白さがあった。鑿(のみ)から鉛筆へ、物の形を表現していく。毎日が新しい発見の連続だった。定時制高校も卒業し、二級建築士も取った。仲間の支えにどれほど助けられただろうか。感謝しきれない。
 十年間、毎日四時間リハビリを続けてきた結果、今は自力で立てるようになった。医者も奇跡だと言う。もう一度自分の足で歩きたい。必ず歩いて親方を喜ばせたい。毎日己にいいきかせている。これからもリハビリは一生続くだろう。自分には覚悟はできている。
親方の言葉を思い出す。
 “宮大工になる前に人間になれ”
 今やっとその言葉の真の答えが見つけられたような気がする。心の美しい立派な人間になろう。人生の勝利者になるにはまだまだオレの戦いは続く。
 親方、見ていてくれ!