第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2022年
第27回入賞作品

佳作

百人一首の約束 芹澤 暁子(52歳 主婦)

 膠原病の治療で2週間入院することになった。お医者さんに「入院です。」と言われた時、家事にパートの仕事、子供達。色々な事が一瞬にして頭をよぎった。無理です。とっても。一度家に持ち帰り、家族と相談し、覚悟を決めた。5月の連休明けに、ということになった。入院までに3週間、時間がある。入念に計画を立てよう。
 まずはパートの仕事。私がいなくても仕事は回るし、お休みはお互い様。と言い聞かせて自分を慰め納得させた。上司に伝えて「お大事にね。治療に専念して。」とメールが返ってきたとたん、思った以上にホッとし、力が抜けてしまった。
 次に家事。夫も娘も息子も、ほぼ専業主婦の私に頼り切っている。最低限の家事を洗い出し、2週間の当番表を作った。洗濯の仕方、干し方、トイレ掃除の仕方、ゴミ出しルール、お皿は各自で洗う事など細かいマニュアルを作成した。少しでも私がいない生活をスムーズに過ごせるように。そして日曜日に家族会議を開いた。当番表と家事マニュアルを見せて説明した。みんな、もううんざりという表情。「なんとかなるよ。」であっという間に会議は閉会した。
 一番の心配事。子供二人の生活だ。ちゃんと学校に通えるだろうか?家のことができるだろうか?体調が悪くなったら?この不安に対しての準備は出来なかった。
 最後に自分が入院中の事を考えた。持っていく物。どのくらい大変な治療なのだろう?入院中何をしよう?何ができるか?
 そんな時、娘が「ママ、退院したら百人一首で勝負しよう。」と提案してきた。たまたま見たYouTubeで真剣勝負の白熱した競技かるたに心打たれたそうだ。確かに、実家にある百人一首では坊主めくりしかしたことがない。上の句が読まれ下の句を取る百人一首かるた。暗記ものだ。入院中のボケ防止にいいかもしれない。勝負というところにくすぐられた。「よしやろう!」約束した。娘から学校の教材で使った百人一首の本を渡された。なんとなく入院中の勉強が楽しみになった。
 入院生活が始まった。ぐるっとカーテンに囲まれたベッドに、小さな窓一つ。閉塞感があったが、仕事や家の事から離れ、ゆっくりできるな、とちょっとホッとした。大量の薬を飲む治療で、多少の副作用があったが、それほど辛いものではなかった。すぐに三度のご飯が待ち遠しいほど暇になった。さあ百人一首。一日十首覚えよう。十日で百首覚えられる。残りの日は復習にあてよう。娘に借りた本を読み始めると、面白い。学生のころは国語の勉強の一環で興味も無かったが、恐ろしいほどの熱愛の歌や、お坊さんの女心を詠んだ歌、若いのに悲観的な歌など、バラエティー豊かだ。また、時代背景や、作者の生い立ちなども書いてあり、今の私にはすんなり入ってくる。歌の意味を理解し、暗記するほど心の中で復唱すると、2時間ほどたっていた。頭がパンパンだ。
 娘とは毎日連絡をとった。お互いの近況と百人一首の進捗状況。この歌は覚えにくい。この歌はほんと強烈だよね。など普段することのない新鮮な話が弾んだ。そして電話での会話の節々から、私が家族の心配をしているのと同じくらい家族が私の心配をしてくれている事が分かった。百人一首の約束は、私が病院で一人落ち込まないように、との娘の気遣いだったのだ。
 予定より2日増えた入院生活はコロナ禍で面会ができず、孤独な日々だった。が、「初めて洗濯できました。」という息子からのメールには涙がでた。
 そして、いよいよ百人一首大会。結果はボロ負け。私は一枚しか取れなかった。本気で悔しい。娘との約束により入院が百人一首合宿になった。子供達の成長も感じられ、薬もよく効き心も体も元気になった。