2022年
第27回入賞作品
佳作
食物アレルギーと約束と妹 篠木 凛(13歳 中学生)
乳製品、卵、大豆、胡麻、ピーナッツ。
これは妹が生後六ヶ月の時に判明した食物アレルギー項目だ。乳製品に至っては、アナフィラキシーショックを起こすような命に関わるものだった。育児などで忙しい中、母はとても大変だったらしい。
当時私は四歳で、幼稚園に通っていた。妹のアレルギーがわかるまで、食べるものにあまり意識していなかったのだが、それからは生活が一変した。我が家のルール、約束として、外からお菓子を持ち込まない、友達の家で何か食べたら帰ってきてから手を洗う、などがあった。もちろん外食もできなかった。
ある日私はあまり日頃から食べることのできないキャラクターのパッケージに入っているレトルトカレーが食べたいと母にねだったことがあった。あんなに厳しいルールがあったけど、母はレトルトカレーを温めてくれて、部屋では食べられないからと言ってベランダで一緒に食べてくれたこともあった。
妹のアレルギー項目が多いので、日頃の食事はアレルギー対応のものばかりだった。大豆が食べられないと醤油、味噌、サラダ油なども使えないので、味噌汁もかなり味気ないものだった。
よく覚えていないが、四歳の私は妹にアレルギーがあることに少し不満を抱いていた記憶がある。どうしてこんなに自分だけ約束に縛られているんだろう…周りの友達は自由においしいものをたくさん食べているのに…と思っていた。
妹も私も少し大きくなって、妹は幼稚園に、私は小学校に通うようになった頃、幼稚園でクリスマスイベントがあったらしい。クリスマスイベントでは毎年ケーキを食べる。周りの友達はおいしいケーキを食べる中、妹はみんなとは違うアレルギー仕様のケーキを食べたらしい。私が妹の立場だったらと考えるととても辛いだろうと思う。でも妹は楽しかったと笑顔で言っていたのをふと思い出した。みんなが食べてたケーキより大きかったよ、と。
ある日祖母の家に遊びに行った。その時祖母は
「薫ちゃんのアレルギーはきっと神様からの授かりものだね」
と母に言った。妹にアレルギーがあることを不満に思っていた当時の私は意味がわからず軽く流していたが、今思うと妹がアレルギーであったからこそ約束やルールから得られたものや気づいたことがたくさんあったのではないかなと思う。
今、妹はアレルギーを克服して、ほとんどの食べ物は食べられるようになったが、家で食べるものは栄養素をしっかりと意識した健康食だし、バランスを考えられたものだ。友達の家に遊びに行った時でも食べるものや量は意識しがちになった。アレルギー対応の材料で作ったケーキは普通のケーキよりもあっさりしていて美味しく、これも妹がアレルギーであったから得られたものだと思う。
妹もアレルギーを克服するのにすごく大変だったと思うけれど祖母が言うように、妹のアレルギーは授かりものだと思う。
そして、不可抗力から結ばれた約束は、我が家に健康的な生活習慣を運んでくれた。
ありがとう、妹よ。