2022年
第27回入賞作品
優秀賞
「きみたちは、手放せない」 中島 実那(16歳 高校生)
本が入った大きな箱の前に正座して、私は小さな約束をした。
中学入学前の春、自分の部屋をもらった。それで、今まで集めてきた約百冊の本を箱に入れ、クローゼットにしまった。当時私の棚という棚は本で埋め尽くされていた。自分の部屋をもらったその頃既に振り仮名もイラストもない本を読んでいた私には必要がなくなり、何十回も読んだ物語は頭に入っていて、何より収納が足りなかった。お気に入りの数冊は近くの本棚に残しておいたから困ることはなかったが、心の中のどこかで気になっていて、クローゼットを開けるたびに、見ていないふりをしてきた。しかし高校受験終了を機に暇人になった私はもう無視できず、高校入学前の春、再び箱を開けた。
蓋を開けると、想像以上に本の状態はよかった。クローゼットの換気は服をしまっている都合上、時々していたので虫がつくことも、ページが湿気でふにゃることもなかった。それに日陰だから日焼けもしていない。
「売っちゃおっかな」
箱の前に正座した私は呟いた。だって綺麗だし、これ今映画化してるし、もう読まないし。これだけあればそれなりの値段で売れるんじゃないかなぁ。何冊か本を手に取り、膝の上に置いた。休みの日にパパにでも言ってみよっかな、言ってみよ…
やっぱりだめ、私にはできない。
目に入ってきた宗田理の「ぼくらの学校戦争」これは小四のGWに自分で買った本だった。青い鳥文庫の「バレンタインは知っている」これは小三の冬インフルで寝込んでいたときに、母が買ってくれた本だ。緑色の絵本の「ブレーメンの音楽隊」これは小二の四月祖母の通夜が始まる前、祖母の家の近所のおばあさんがうちの子たちもう大きくなって読まないからもらって、と沢山くれた絵本の一冊。スキップしている女の子が表紙の「赤毛のアン」これは小三の夏休みの家族旅行で、宿での暇つぶしにと新潟で買ってもらった本。小学生の頃の本の詳細を私は全部覚えている。いつ、どこで、誰が、目的。気持ち悪いと自分でも思う。本を出していくと記憶がうわぁっと出てきた。すべての本を出し終えた後、ふと私は初めて読んだ本を思い出した。固い厚紙のページで、カエルの指人形に指を入れて読む絵本。そうだ、小学校高学年のときに、もういらないからいとこにあげる、と段ボールに入れたら母が私の所に戻しにきたのだ。これはダメ、パパが選んであんたが初めて読んだ本なんだよ、と母は言った。私の読書生活の始まりの本、人生初の本。あどけない表情のカエルくんが、私を本の世界の虜にしてきたと聞いて手放せるわけがなかった。私はこの時既に、無意識のうちに本を手放せなくなっていたんだ。本を手放すということは、私の本の思い出や経験も放すことになる。そしたらもう、もとに戻すことはできない。再び出した本たちを丁寧に箱に閉まった。窓を開けた。本を入れ終えたあとも、蓋は閉じなかった。クローゼットに閉じ込めていたことの罪滅ぼしの気持ちから、せめて陽が暮れるまでは、春の空気を本に吸ってほしかった。また私は正座をして、グッと背筋を伸ばした。きみたちは手放さない、というより私が手放せない。大人になったら大きな本棚に入れよう、いつかこどもに読んでもらおう、死んだら図書館に寄付してもらおう。だから、今はもう少し箱の中で待っていてほしい。
本には、二つの物語があると思う。ひとつは作者が作った内側の物語。もうひとつは私たちが偶然を重ねて作る外側の物語。誰かにプレゼントしたとか、この本が私を支えてくれたとか。私はあの日、本たちに一方的な約束をした。本の外側の物語を、自分で見続けたかったことにやっと気づいた。
週末、私はクローゼットの空気を取り替える。春になったら、また箱を開けて春の空気で満たしてあげよう。