第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2021年
第26回入賞作品

佳作

厚い掌 山口 美玲(52歳 主婦)

 看護士の資格は取ったものの慌ただしい時が過ぎ、職に就く事も無く結婚、出産。その話を頂いた時期は、丁度子供が小学生になり転期を考えていた頃でした。医療とは少し距離はあるけれど経験も活(い)かせるかと思い“児童養護施設”に勤めていた私でした。乳児から18才迄のたくさんの子供達の健康管理が私の仕事でした。
 その男児は生後すぐに園に連れて来られ、出会った時は2歳になったばかりの頃でした。腸が弱く不調がちなその子との関わりは人一倍でした。「どの子も平等に。気持ちは入れすぎず。」そう園から言われながらも下痢が多く困り者のその子は気が付けばいつも私の傍に居る様になっていました。そんな彼も小学校に入ると体力もついて人並み以上に大きく成長していきました。運動が得意で帰園した後の夕食が“常に足りない”と悲しむ位になっていました。園では年令に応じた量を出す規則なのでおかわりは皆ほとんど無い状態でした。「オレ、お腹いっぱい食べたいから中学出たら働く。」口ぐせの様に言う彼の楽しみは年に一度、夕食のリクエストが出来る誕生日メニューでした。
確か5年生の時、「オレね、牛丼食べたいって頼んだんよ!」嬉しそうな声で私の背を追い越した彼が伝えにきてくれました。
誕生日の翌日、夜勤の私は入浴後の彼に声を掛けました。消え入りそうに肩を落としたその言葉が今でも私の心に染み込んでいます。「月末で予算がないって。大盛りラーメンだったんよ…。」大きな背中を抱きしめて、彼の呼吸に耳をあてて言いました。
「中学の卒業式の日、大盛り牛丼食べに行こう。何杯でも!たくさん食べていいから、約束よ!」
 その年のクリスマスに事件が起きました。市内の業者さんからの寄付で、子供達一人一人に一個ずつホールケーキが届いたのです。「大きなケーキですよ!みんなたくさん食べて下さいね。」園長の言葉に顔中がクリームだらけになりながらかぶりつく子供達。笑顔で見守る職員たちの嬉しそうな声の中、天井に向けてケーキが飛んで壁にぶつかりグチャグチャになっていったのです。職員の頭上をかすめる様にいくつものケーキが飛びかい始めたのです。他の子供のケーキを取りあげて床に投げる彼の姿がそこにありました。「こんなケーキ、家族と食べるから、クリスマスって家族が居るから楽しいんだろ!一人でこんなの食べたって…。」泣きながら投げ続ける彼の姿に他の子供達も同調して、部屋中をケーキが飛びかい始めたのでした。その後彼は、問題行動児童として別棟で生活をする事になり私の前からいなくなってしまいました。管理者が全く違うのでその後かかわる事もできず何年も過ぎていきました。
 4年後の早春、牛丼専門店の駐車場。卒業式を終えた親子達が通り過ぎるのを目で追いながら私は、待っていました。そんな約束、彼が覚えている訳は無かったのですが…。 暗くなる迄待っても彼に会うことはありませんでした。どうして、こんな事をしているのだろう、その後もたくさんの子供達と向きあいながら胸の奥にどうしても消せずにいる彼の姿を追い求めていました。
 その翌年も、卒業式の日車を走らせてしまう私でした。「一年間違っていたのかも…?」とありえない事で納得させながら。花束を抱えた親子達が通り過ぎる駐車場。人影もまばらになった頃、車の窓をたたく彼の姿がありました。
「先生ごめんな。オレ一年間、働いてお金貯めて来たよ。先生に大盛り食べさせようって。 決めたから…あの日。」
大きな厚い彼の掌が私の腕を取って車から降ろしてくれました。
「先生、来てくれてありがとう。」
「……どっちのセリフよ…」