第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2021年
第26回入賞作品

佳作

奇跡の千円札 後藤 里奈(高校教諭)

 教師になってはや十一年。今まで様々な生徒と出会い、たくさんの約束を交わしてきた。
「これからは遅刻をしません。」
「明日までには宿題をやってきます。」
「もう二度と校則違反はしません。」
殊勝な面持ちで誓いの言葉を述べる彼らだが、残念ながらこれらの約束がきちんと守られたことはほとんどない。それでも、「いつか分かってくれる時が来れば…。」と信じて日々生徒と接し、人間関係を築いていく。当然、生徒から教えられたり気づかされたりすることも多い。なかでも、「約束を守る」ということの尊さを教えてくれたある生徒の存在は、今でも私の励みとなっている。
 数年前、教師になってまだ間もない頃、私は高校二年生のある選択授業を担当した。使用する教材は予め決められており、私は生徒からテキスト代千円を徴収しなければならなかった。そこで私は教室内に箱を設置し、「皆さんを信用していますので、○月○日までに、千円をこの箱の中へ入れて下さい。」とクラスで伝えた。そして約束の日、箱の中の金額を数えると、ちょうど千円だけ足りなかった。足りないのが一人分だけだったことに内心安堵しつつ、私は「もしお金を持って来るのを忘れてしまった人は、先生にその旨伝えに来て下さい。」と生徒達に言い、全員にテキストを配布した。しかしその後も結局申し出はなく、いつしか私もそのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。

 それからさらに五年以上が経ったある年、私は体調を崩し、学校近くの病院に通院していた。ある日、いつものように病院へ行くと、受付で新人らしき若い女性が対応してくれた。帰り際、病院を出ようとすると、その女性が「先生!」と言って駆け寄ってきた。驚く私に彼女は、「高校二年の時、選択授業でお世話になった○○です。」と教えてくれ、私は一気に記憶が蘇った。そして彼女は、「あの時はテキスト代を払えず、本当にすみませんでした。」と深々と頭を下げ、封筒を手渡してくれたのだ。
 彼女は当時母子家庭で経済的に苦しく、自らアルバイトをしながら家計を支えていた。期日までに千円を用意することができず、ずっと惨めな思いをしていたという。しかし、やっと用意できた時にはもう遅く、どうしても自分から申し出ることができなかった。私が日頃から「提出物などは直接手渡しで持って来なさい。」と言っていたのを、彼女はよく聞いてくれていたのだ。その後彼女は医療事務の専門学校に進学し、偶然にも学校近くの病院に就職が決まった。そして、私がまだ同じ学校に勤務していることを知り、いつか必ず本当のことを言ってお金を渡そうと、常に千円札を封筒に入れて持ち歩いていたそうだ。どれほどの勇気が要ったことだろう。私は「約束を覚えていてくれてありがとう。」と言い、彼女の誠意と想いが込められた千円札を受け取った。どんな千円札よりも価値のある千円札だ。添えられた手紙には、「先生があの時犯人探しをしなかったおかげで、私は本当に救われました。感謝しています。」と書かれていた。その千円札と手紙は今も大切に保管し、人として大事なことを教えてくれた彼女のことを時おり思い返しては、教師の冥利を噛みしめている。そしてその度、自分自身に誓っている。「生涯、生徒の心に寄り添える教師でい続けよう。」と。