第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2021年
第26回入賞作品

優秀賞

パンツの旗 内田 詠子(48歳 主婦)

 あれは夏休み前の保護者会でのことだった。
 そうだ、最後にみなさんにお聞きします、と先生が「忘れ物箱」を取り出した。ずっと引き取り手がない忘れ物に心当たりはないか、親に確認しようというのだ。鉛筆、消しゴム、定規など、小学3年生らしい定番の忘れ物が続く。次々品物をあげてゆくなか、あら、と笑った先生が、すこしおどけた口調で
「はい、こんなものも入ってました!」
とたんにドッと笑い声が上がった。先生が高々と掲げた手には、イチゴの刺繍のパンツ。
「いったいどうやって忘れるんでしょうね」
先生のコメントに、さらに笑い声があがる。しかしそんななか、私だけはさあっと血の気が引いていくのを感じていた。
 見覚えのあるパンツ。娘のだ。嫌な想像に思い当たる。だから「はい、うちので~す」と明るく名乗り出ることはできなかった。
 かくして持ち主のわからないパンツは、皆の笑い声のなか、じゃあもう処分しちゃいますね、という先生の言葉とともに、永遠に帰り先を失った。

 娘には慎重に話を切り出した。
「パンツなんだけど、あの気に入ってたやつ、今日忘れ物じゃないかって先生が」
「え! ちょっと待って待って、もしかしてうちのです、って言っちゃった?」
「ううん、知らんぷりした」
よかった、と胸をなでおろす娘。そして観念したのだろう、話を始めた。水泳後の着替えのときだったという。たたんで置いたはずの着替えの中に見当たらないと思ったら「やだ、パンツ落ちてる」と“例の子たち”が大騒ぎを始めた。きたな~いとつまみあげて皆に誰のか聞いてまわり、最終的に「落とし物」として黒板に貼り付けられてしまったそうだ。
 無視される。クスクス笑われる。“ゲームだから”とつねられる。“うっかり”上履きを捨てられたこともあった。笑顔の下に巧妙に隠された数々の嫌がらせ。顔を真っ赤にして俯いている娘の姿が目に浮かぶ。みぞおちのあたりがすうっと冷たくなって、怒りが込み上げてきた。震えを隠しながら
「そう、辛かったね」
とできるだけ冷静に娘に声をかける。するとこちらを見てちょっと戸惑ったような表情のあと、ニカッと笑った娘からは
「うん、そりゃあ恥ずかしかったけど。でも大丈夫。ああいう子たちには感情を出さないほうがいいんだよ。それより、お母さんが怒った顔のほうがよっぽど恐い。だからもう気にしないで」
と、逆に私を気遣うかのような答えが返ってきた。
「あのパンツだけは、惜しかったけどね」
 そうつぶやいて、話は終わったとばかりに娘は本に顔をうずめた。だが、どんなに気丈に振舞っていても、その心が今も震え、血を流し続けていることはよくわかる。受けた傷はいつまでも消えない。どんなに辛く悲しく、悔しい思いをしていることだろう。
 ねえ、と娘に声をかける。
「悲しかったね。私も悲しい。でも悲しみは人を強くするって言うんだよ。でね、強くなるって、優しくなれるってことだったよね」
好きなヒーローを思い出した娘が顔を上げる。
「悲しかった分だけ、人の痛みもわかる素敵な大人になれるよ。ヒーローだよ。いつか自分の子どもに、私は誰もいじめたりなんかしたことはない、って胸を張って言えるのは、すごく誇りで、嬉しいことなんだから」
「……ほんとに?」
「うん、約束する」

 あれから数年、娘は悔しさのエネルギーを勉強に向けた。宿題教えてと集まってくる友達に囲まれた娘を眩しく見ながら、私はあのときの約束を思い出していた。
 私たちの胸には、あのパンツの旗が、今も勇ましくはためいているのだ。