第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2020年
第25回入賞作品

10代の約束賞

受験生の葛藤 布袋屋 咲来(17歳 高校生)

 今この作文を書いている私は高校二年生の冬、つまり、大学受験まで丁度一年という時期にいる。この十七年の人生を作ってきたのは、ある一つの約束である。それは、「医者になる」という約束だ。物心ついた時から、自分は将来医者になる、と信じてきた。幼少期から、整形外科医である父の話を聞き、沢山の医療ドラマや医療漫画に触れてきた。常に側にあった「医者」という存在は、次第に私を魅了した。
 しかし、医者を目指すのは茨の道である。両親は私に中学受験をさせるため、小学校一年生から塾に通わせた。授業は週に三回で、他にも水泳や空手などの習い事をしていた。友人たちと遊ぶ暇も無いくらい、毎日充実した生活だった。小学校での学習内容は、塾の復習になっていたため、どのテストも良い成績を取ることができた。中学受験では、受験した全ての学校に合格し、希望の中高一貫校に入学した。だが、順風満帆だった人生は高校に入り、頓挫した。トップ争いが当たり前だった試験で、私は十番以下。上位者の掲示に名前が載らない。このままではまずいと部活を辞めたが、思うように勉強できなかった。それから後、テストが怖くてたまらなくなった。定期考査二週間前、机に向かうが、勉強の仕方を忘れたかのように進まない。一週間前、問題集を前に、不安で不安で涙が溢れた。布団に潜った私は、何故「医者」になりたかったのか、思い出そうとした。学校での他愛ない会話の中で、友人と中学受験をした理由を語り合ったことがあった。皆口を揃えて、「自分で受験したいって親に言ったよ」と話した。一方私は、一度も受験したいと口にしたことがなかった。またある時、医学部志望生向けに配られた資料の中に、「子どもを医者にさせる方法」という記事を見つけた。そこには、幼い頃から医療ものに触れさせる、と書いてあった。追い打ちをかけるように降りかかった言葉の数々に揺さぶられた。私はついに、医者になりたかったのは私ではなく両親がならせたかったのではないか、そう思うようになってしまった。「医者になる」という約束は、出生と同時に取り付けられた、両親との約束だったのかと悟った。
 暫くして、祖父が貧血で倒れた。夜十時、父と私は病院に駆けつけた。祖父は頭を打ち付けたらしく、額には三、四センチ程の傷が開いていた。父は私に
「おじいちゃんの手を握っていてあげて。」
と言った。それから父は祖父の額を縫い始めた。父の仕事を間近で見るのは初めてだった。「お義父さん、大丈夫ですよ、もうすぐ終わりますからね」という優しい声。落ち着いた丁寧な処置。安心しきった祖父の表情。私はその場の空気に吸い込まれるようだった。処置が無事に終わると、祖父は何度もお礼を言った。本当に嬉しそうだった。私は父に、凄いねと声をかけた。すると父は満足気な顔で、「いつでも家族を助けてあげられるからな、やっぱり医者はいいぞ。」
と言った。私ははっとした。口癖のように言う「医者はいいぞ」という言葉。今までは聞く度に、プレッシャーを感じていたのに、この時ばかりはすっと溶け込むようだった。医者になりたい、と思った。私がなりたかった理由、それは人を助けた時の心地よさ、必要とされる嬉しさだった。そして何より、父のように感謝される人になりたい。幼稚園生の頃の作文にも、そう書いたではないか。「医者になる」という約束の重さを、いつの間にか親に押しつけていた自分が恥ずかしくなった。
 プレッシャーに負ける弱い私も、責任転嫁する卑怯な私も、もういない。「医者になる」という約束は、他の誰でもない自分自身との約束だ。大学受験まで丁度一年。この約束を果たすため、まずは入試までベストを尽くしたい。