2020年
第25回入賞作品
佳作
「必ずお母さんの意志を継ぐから見ていてね。」 鈴木 美智子(49歳 看護師)
「マラソンに出逢って人生が変わった。自分の体験を無駄にしたくない。いつか必ず本を書きたい。」そう言いながら、唯一の家族である全盲の母は、点字で日記を書いていた。
母が42才の時、第1回京都視覚障害者マラソン大会への参加を機に、私達母娘のマラソン人生が始まった。
当時は第1回という位で、視覚障害者が走る事が珍しく、走り方もわからぬまま、申し込みの翌日から、母と手を繋いで家の前の神社をくるくると走り始めた。しかし、手を繋いでいては走りにくいという事で、今度はハンカチを輪にし、お互い端を持って走ってみると、手が振れるので走りやすいとわかった。
20日間の練習の後、大会当日は3㎞の部に出場、初の大会で母は優勝した。
一度きりと思っていたのが、翌年からも大会は続くと知り、以後二人三脚での練習と大会の日々が続いた。
初めてのフルマラソンは、走り出して3年目のホノルルマラソン。「フルマラソンでは30㎞を過ぎると足が棒になると聞くけど、どんな風になるのか自分で体験したい。」と母が参加を決意、私は中学3年で受験の年であり迷ったが、「1週間休んで落ちるなら休まなくても落ちる」との母の言葉で、共に参加。
初マラソンは、想像を超える苦しみで、「二度とこんな事はやめよう」と言いながら、4時間50分でゴールした。直後は疲労が大き過ぎたが、日が経つと、走り切れた喜びと感動が沸き上がり、又走りたいと思う様になり、帰りの飛行機の中では、「絶対来年も来ようね。」という言葉に変わっていた。
翌年以降、母は32年間ホノルルマラソンに参加出来た。
市民ランナーの目標である「4時間切り」も果たせる様になり、次に母が目指したのは、走歴10年を記念し、100㎞マラソンへの挑戦。
フルマラソンを2回走ってもまだ足りない100㎞、果たしてどこまで自分達に力があるのか、未知への挑戦だった。
サロマ湖100㎞マラソンに参加し、少し時間はオーバーしたが、何とか完走、翌年からは時間内に完走できる様になった。
「継続は力なり」「出来る人と違って、出来なければ人の何倍も何十倍も努力しないといけない」そう言いながら努力を重ねた母。
「3㎞から始めたマラソンが100㎞まで走れる様になった。マラソンに出逢い、生きる喜びを感じられた。この喜びを一人でも多くの人に伝えたいし、一人でも多くの人に味わってほしい。」そんな思いで母は生きてきた。
22才で失明し、死を選ぼうとした時期もあった母が、「私より幸せな人がいるのかしら」「目から感じる光は無いけれど、心はいつもいい天気」と言う程に人生が変わり、輝いて生きていた。
そんな母は、32回目のホノルルマラソンより帰国後1週間で癌が発覚、病勢が強く、半年で天国に旅立ってしまった。
娘としても医療者としても、寂しさと後悔は尽きないが、「強く生きていってね」と繰り返し言われた母の言葉を胸に、強く生きること、母の娘として恥じない生き方をすることを心に誓う。
そして、「自分の体験を通して、一人でも多くの人に前を向いて歩んでほしい」「人生を無駄にしたくない」「役に立てる生き方をしたい」という母の意志をしっかりと受け継ぐことを誓う。
最後に、大好きなお母さんへ。
お母さん。今までお母さんのお陰で、他の人は体験出来ない様な素敵な人生を送らせてもらいました。本当にありがとう。
お母さんと過ごした47年間は私にとって、かけがえのない宝物です。
残りの半生、お母さんが伝えたかった事を私が必ず引き継ぐから、ずっとずっと見守っていてね。