第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2020年
第25回入賞作品

佳作

曽祖父の背中 尾崎 裕貴(17歳 高校生)

 昨年の十一月末、曽祖父が亡くなり一周忌を迎えた。私は年二回程の帰省で曽祖父に会えることをいつも心待ちにしていた。離れて暮らしていても私の心の中には曽祖父がいた。亡くなった今は、なおさら大きく温かく見守ってくれる偉大な存在である。
 曽祖父は大正十一年生まれ。私が物心がついて知る曽祖父は、頭は白髪の坊主頭で顔は日に焼けて茶褐色で背が高く、背筋がぴんと伸びていて、宮崎弁がすごく、少し耳が遠かった。
 そんな曽祖父が戦争の話を始めると、急に顔つきがこわばりながらも、話が止まらなくなった。それは曽祖父が戦争で兵隊として戦ったからである。曽祖父の左足には、鉄砲で打たれた傷痕があった。私はそれを小学校二年生の時に初めて聞き、雷を受けたような衝撃を受けた。そして、その衝撃はすぐに知りたいという気持ちとなり、夢中になって、曽祖父に質問したのを憶えている。
「鉄砲が当たった時はどうだったの?痛かった?」
曽祖父は少し間が空いてから、
「痛い感覚よりもその場を生きることに必死だった。戦争は人間の心を破壊する。あの光景は今でも頭から離れることはできない。」曽祖父の言葉は私の心に響いた。人と人が争い合って自分を見失い、人間ではいられない恐ろしい戦争は憎きものであり、戦争とは別世界に感じている今の平和は同じ世界であり、表裏一体であることを忘れず、平和の尊さを考えていきたいと思った。
 曽祖父は好奇心旺盛で勉強家だった。本や新聞の活字が好きだった。毎日、学んだことや気になったこと、その日の出来事を日記につけていた。日記は毎日、ぎっしりと字で埋め尽くされていて、曽祖父の真面目さ几帳面さが表れていた。生前、曽祖父は、
「日記を書くと自分と向き合うことができ、目標や状況が見えてくる。」と話していた。今となっては、一日も休むことなく書かれていた日記は曽祖父の人生史であり、家族の宝物となった。しかし、まだ私には曽祖父の日記を見るには子どものような気がして、開くことはできない。もう少し、大人になり、曽祖父に再会するような気持ちになった時に手に取りたい。私は曽祖父が人生を前向きに生き生きしている姿がとても好きだった。九十七歳まで長生きをし、曽祖父の生き方、背中、言葉は私や家族、周りの人を大切にし、多くのことを残してくれた。
 今、私たちはコロナ禍において新種のウイルスという難題に立ち向かっている。高校生の私にとって、仲間と語り合い、青春を謳歌したい時期に制限されることが多く、心が疲弊されそうになる。曽祖父は、今の難題をどう考えるだろう。大正・昭和・平成・令和を生き、戦争という苦しい暗黒の時代を生き抜いた曽祖父は、今の世の中、私をどう見ているだろう。曽祖父が戦争の時代を生き抜いて今の私がいる。そうやって命は続いている。そう考えると、ネガティブなことを考え未来を嘆いたり、過去に囚われて身動きがとれなくなるのではなく、「今を必死に生きる。」それが曽祖父と私の心と心の約束であり、私が曽祖父の背中から学んだことである。戦争の時代、私たちと同世代の若者は自分の生き方の選択ができなかった。私たちは今、自分で選択できる。コロナウイルスは試しているのではないか?私たちが何を選択し、どう生きるのか。