2019年
第24回入賞作品
佳作
まほうのおくすり 見澤 富子(61歳 主婦)
夫の腎臓に腫瘍が見つかったのは二十年前。突然血尿が出て、すぐに病院で腎臓癌と診断された。ステージⅣ。
「生きられたとしても」
医師は言葉を濁した。もう長くはない。医
師の険しい表情からそう読み取った。
「先生、最期は自宅で」
夫も覚悟を決めたように医師に懇願した。その後、訪問診察に来た医者は「余命一カ月」と夫に告げた。ちょうどクリスマスイブの三日前だった。夫はバタバタとクリスマスの準備を始めた。チキンの仕込みに、ツリーの飾りつけ。さらに「サンタさんからのてがみ」と称して娘に手紙を書いた。
『ママのいうことをちゃんときいてね』
『おともだちとなかよくあそんでね』
手紙にはそんな内容が書かれていた。しかししばらくするとペンが止まり、夫はボロボロ泣き出した。涙で字が読めず、その字までも涙で滲んだ。
『ママをたいせつにしてね』
夫は最後にそう綴った。
「プレゼントなんだけど、今年はリカちゃんにしようかと思って」
手紙を書き終えると夫が言った。娘はリカちゃん人形が大好きだった。お風呂もお布団もいつも一緒。娘にとってそれは「家族」だった。
「そうねえ。リカちゃんなら人形かしら。でも最近はシールや絵本も好きみたい」
「シールに、絵本かぁ」
「あっ、あとキティちゃんもいいかも」
結局プレゼントは決まらなかった。
しかし娘が幼稚園で書いたサンタさんへの手紙を見て驚いた。
『サンタさんへ。パパのガンがなおるまほうのおくすりをください』
娘の欲しかったもの。それは人形でも絵本でもなかった。リカちゃんでもキティちゃんでもない。それはお金では手に入らない、幸せな日常だった。
イブの夜、夫はアガリスク一包一包に『まほうのおくすり』と書き、手紙と共に枕元に置いた。
朝になって娘が起きると、
「ねえ!パパ!サンタさんから『まほうのおくすり』もらったの!これ、これ!」と言いながら興奮気味に夫に見せた。夫はそれを飲むなり「ああ!もうどこもいたくない!ほんとにガンがなおったぞ!」と大げさに言った。「ほんと?ほんとに?あー、よかった!じゃあサンタさんにお礼のおてがみ書かなきゃ」
娘はまた二階へかけ上がった。そのうしろ姿を見ながら夫は言った。
「来年からは君がサンタさんだ。約束だ、任せたぞ」
私はコクンと頷くとそのまま玄関を出た。ゴミを出しに行くふりをして空き地で思いきり泣いた。決してその涙を夫と娘には見せまいと思った。
その後毎年娘のもとにサンタさんがやってきた。学年が上がるにつれ、欲しいものはどんどん高額に。一輪車。時計。ネックレス。正直、家計は火の車。だけどクリスマスになるとなぜか私も気合が入った。七面鳥の丸焼きやケーキのデコレーションにも挑戦し、娘をあっと驚かせるのが楽しみになった。
それでもやっぱり夫がいないクリスマスは寂しかった。いくら手の込んだ料理を用意しても、どこか切なくてやるせない。チキンなんてなくたっていい。ケーキだって、ただのカステラで構わない。年に一度のクリスマスを大好きな夫と一緒に過ごせればいい。ただそれだけで。ただそれだけでいい。
今年もツリーを片付けながらふと思うのである。
この悲しみに効く「まほうのおくすり」があればいいのになあ。