第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2019年
第24回入賞作品

優秀賞

未来の道標 中川 颯(14歳 中学生)

 人生の転換点は未来から見て初めて判るものだ。振り返ると今の僕の道は、小学五年生の秋、iPS細胞の山中先生と交わしたある約束から始まった。
 当時、ある企画でこども新聞記者として、大阪マラソンを取材した。それは、かなり本格的なプロジェクトで、みっちりと四日間かけてマラソンについての新聞を作り上げる。この企画に応募した理由は、憧れである山中先生の囲み取材が予定されていたからだ。話したり質問したりすることができる大盤振る舞いな夢のような企画だ。前夜、ワクワクして眠れなかった為、iPS細胞にちなんだ科学的な質問をずっと考えていた。
 当日、僕の質問が他の人の質問と幾つか被ってしまった為、急きょ新たに考えなければならず、頭の中が真っ白になった。先日聞いていた「チャリティアンバサダー」という言葉が頭に残っていた為に思わず、
「僕は科学者を目指していますが研究にはお金がかかるのですか?」
と全く科学的ではない質問をしてしまった。
「大阪マラソンはチャリティイベントですが研究も多くの皆さんの協力が必要です。研究にはいろんな材料を使ったり、または新しい薬を作り出すので、たくさんのお金が要ります。ぜひ研究者になって協力してください」
先生はそんな質問にも優しく答えて下さった。
 翌朝、登校すると担任の先生が、まるで別人と見間違える程の大きな笑顔でやって来た。そして一枚の新聞を差し出してこう言った。
「見たぞ。約束だな。頑張れよ。」
そこには、昨日の山中先生と僕との会話が記事となって載っていた。わらわらと集まってきたクラスメートからも、口々に応援してもらい、改めて科学者になろうと心に誓った。
 これは約束だ。あの山中先生と約束をしたのだ。それだけではない。担任の先生とも、クラスメートとも、自分自身とも約束をしたのだ。まず何から始めよう。考えあぐねた末、山中先生と同じ学校を受験することを第一目標とした。少しずれている気がしないでもないが、中学・高校と同じ景色を見てみたい。そうして今、合格した僕は後輩であると言う誇りをしみじみと感じている。
 次にすることは研究だ。寝食を忘れる程の何かを見つけたい。そんな折、祖父が体調を崩し、その後時々物を忘れるようになった。本や新聞が大好きで真剣に時には楽しそうにその内容を話してくれる時間も、徐々に薄くなっていった。僕は認知症やアルツハイマーの本をたくさん読んだ。しかし今現在、この疾病を完璧に予防したり、進行を止めたりする治療法は見つかっていないようだ。
 研究はこれにしよう。それは神経科学の分野だ。折しもその年の秋、脳科学オリンピックの地区予選が開催され、優勝者には日本代表候補として、専門施設の見学や研修会等が予定されていた。研究の最前線を肌で感じる事ができるとは何と素晴らしいご褒美なのだろう。これしかない。科学者を目指すチャンスだ。僕の約束の第二目標は地区予選優勝だ。
 しかし、難点は英語での試験と言うことだ。日本から出たことがない中学三年生にとってそれは、果てなくそびえ立つ壁でしかない。そしてその壁の前で途方に暮れる。途方に暮れていると、五年生の時の満面の笑みで新聞を持ってきてくれた先生や同級生の笑顔や、中学受験に合格した時の家族の涙やらが思い浮かんできた。そうしたら妙に力が出る。追いつめられた火事場の馬鹿力なのだろうか、不思議なものだ。僕はこの高い壁をどうにかこうにか乗り越え、日本代表候補となれた。次の目標は日本代表になることだ。
 ふと思う。約束とは、未来の道標なのだと。自分の中にあるぼんやりとした灯りに反射する道標なのだ。それを見据えて進めばきっと、望むところへと辿り着けるのではないだろうか。僕はまだまだ道半ばだ。しかし、行くべき道はもう見えている。