2019年
第24回入賞作品
大賞
几帳面な父の約束 建内 真由子(36歳 会社員)
父は昔からとにかく几帳面な性格だった。口癖は「予定管理」。予定管理の名のもとに、どんなに些細な予定でも手帳替わりのカレンダーに逐一書き込む。例えば「旅行」の予定日の前日には必ず、「旅行の準備」とあった。「そんなの、書くまでもないことじゃないの。」と私や家族がからかうと、「いいんだよ!きちんと書いておけば絶対に忘れないだろ。予定管理だよ、予定管理。というか人のカレンダー勝手に見るなよ!」とムキになって返すのが可笑しかった。そしてそういう愛すべき部分がある父のことを、私は好きだった。
時代の流れに伴い、父の手帳替わりはいつしかカレンダーから携帯電話のスケジュール帖に替わった。それでも、些細な予定まで書き込む習慣は相変わらずのようだった。
そんな持ち前の几帳面さで健康にも人一倍気を使う父だったが、6年前、突然の病に倒れた。急性骨髄性白血病だった。緊急入院したと聞いて慌てて駆け付けた子供たち3人と母に、病室で父は言った。「お父さんは難しい病気になってしまったけれど、絶対にもう一回復活するからな。約束したぞ。」力強いその言葉に、父は必ず治ると私たちは確信した。しかしあっという間に症状は悪化し、発病からたった2か月で、父は帰らぬ人となってしまった。まだ64歳だった。父が亡くなったその日は、皮肉にも私の誕生日の前日だった。
葬儀会社の都合で通夜は翌日に執り行われることとなったので、その日の晩は家族だけで過ごした。明け方に父が亡くなってから矢継ぎ早に続いた、儀式の打ち合わせ、職場や親戚への連絡、各種手続き。それらに一日中奔走した私は、とにかく疲れていた。夕飯の時間になっても食欲など湧かない。しかし同じく疲弊している兄がわざわざ買ってきてくれた弁当を無駄にするわけにもいかず、のろのろと食卓に着いた。
「こういう時こそ、ちゃんと食べないとね。」母、兄、妹と促し合いつつ食べ始める。すると突然、食卓の隅に置かれた父の携帯電話が鳴り響いた。
「え…。お父さんの携帯、昼間に解約の手続きしたよね…?」
私たちは全員で顔を見合わせた。そしておそるおそる画面を覗くと、そこにはあるメッセージが表示されていた。「亜沙美に明日送る誕生日のメールを作成すること。」
私は驚きで息が止まりそうになった。それは父が携帯電話のスケジュール帖に残した、本日の予定だった。父らしい、書くまでもないような些細な予定。アラーム音と共に表示されるよう設定されていたのだ。
「お父さん、子供たちの誕生日には必ずメールをくれたもんね。」
妹がしんみりとした声で言った。そうだった。父は、毎年欠かさず誕生日に長文のお祝いメールを送ってくれたのだった。「愛する娘へ。」なんて恥ずかしげもなく書かれているので、読むのがなんとも照れ臭かったものだ。
「お父さん、本当にもう一回復活したね。ちゃんと約束守ったんだね。亜沙美、一日早いけど最高の誕生日プレゼントをもらったね。」
母に言われて、私は泣いた。つられて妹が、そして兄と母も泣いた。
父がその予定を入力した日付を見ると、5日前になっていた。その頃にはもう合併症の肺炎で高熱が続き、相当つらそうだったのに。もはやメールどころではなかったはずなのに。
私はこんなにも父に愛されていたのだ、と改めて思った。嬉しくて、嬉しくて、悲しかった。ただただ、父に会いたかった。
明日は私の誕生日。父からのお祝いメールはもう届かないけれど、その代わりに私は一生分の愛情をもらったのだ。
「それにしても、こんな時にまで予定管理かよ。どこまでも几帳面な人だなぁ。」
兄が少しおどけてあきれたように言ったので、家族全員泣き笑いになった。