第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2018年
第23回入賞作品

プロミスお客様サービスプラザ賞

約束の力―束ねられた想い― 田中 美樹(42歳 主婦)

 「約束」って言葉が嫌いでした。途中で守れないってことに気づいても、絶対的な期限まで心の片隅を縛られて、窮屈な時間を過ごす気がして。誰かとつながっている脆い錯覚の中で、本当の孤独に最後まで気づかないこともあるような気がして。
 そんな否定の感情しか持ち合わせていなかった私が、「約束」の力に救われるのは、今から十年前のことでした。
 「いいですか、お母さん。落ち着いて聞いてください。血液検査の結果、娘さんは白血病の疑いがあります。このまま、大学病院に緊急搬送させていただくことになります。」
 風邪の症状が改善せず、二週間ほど微熱が続いていた娘を、かかりつけの病院に連れていった私に、医師から告げられたのは、想像を遥かに超えた病名でした。
 私から引き離され、救急車に乗せられる娘は、まだ一歳十一か月。知らない大人達から逃れようともがき、声を限りに泣き叫ぶ娘の姿を見送りながら、身体中の震えが止まらなかったことを、今でも鮮明に思い出します。
 娘の血液の状態は、感染のリスクが高く、一刻の猶予もありませんでした。でも、私の心が追いついていかないのです。医師からの説明をぼんやり聞きながら、何枚もの承諾書に次々とサインをしました。副作用について、手術に伴う危険性と後遺症について。文字を必死に目で追うけれど、容量オーバーの心にはもう何も入ってこなかった。
 そして、まったなしの娘の闘いは、翌日からすぐに始まりました。娘からのびるたくさんの管に気を付けながら、狭い小児用ベッドで共に寝起きし、大量の点滴の影響によるおしっこの量の管理をしていく。投薬治療と大量の輸血は副作用との闘いでした。
 容態が少し落ち着き、個室からクリーンルームの大部屋に移っても、べったりと分厚く塞がったままの私の心は、ベッドのカーテンを開けることはありませんでした。暗くて深い海の底でじっとうずくまっているような感覚で過ごす一日は、とても長くて、どうやって娘と接していたのか、この頃のことはよく思い出せません。
 そんなある日のことでした。いつものように朝食の食器を廊下のワゴンに片付け、病室に戻った時でした。閉じられたカーテンごしに、娘が隣のベッドの子と話していました。
 「じゃあ、お姉ちゃんと約束ね。あの苦いお薬を頑張って飲めたら、一緒に遊ぼう。いつもいやいやしてるけど、絶対に飲まないといけないものだもの。みんな一緒に元気にならないと。」
 でも、次の日、娘はまた薬を吐き出してしまいました。その時、娘が言った言葉。「お姉ちゃんと約束したから、明日は絶対に遊びたい。」
 ぎゅっと縮めていた肩をトントントンってされた気分でした。あ、そうか。「約束」って、明日頑張る力をくれるのか。こんなつらい日常でも、誰かの勇気になるんだね。約束に縛られることは、みじめなことじゃなかった。一歩前に進むための魔法だった。
 髪の毛が抜けてまだら頭の女の子達は、約束を果たして、キラキラ笑っていました。それはまだ、狭くて小さいベッドの上だったけれど。
 その翌日。私はカーテンを開けました。一日一日を輝かせるために。そして、娘とたくさんの約束をしました。外で遊ぶ。回転寿司に行く。スイミングとピアノを習う。絶対に病気を治して幼稚園に通う…。
 「約束」は、私達の想いを束ねてくれました。未来をまっすぐ照らしてくれました。前に進めることが楽しくなりました。
 だから、人は「約束」をするんだね。
 娘は今、中学生。バスケットボールに青春の全てを注いでいます。こんな日がくるなんて。あの時、カーテンを開ける勇気をくれた女の子には感謝の気持ちでいっぱいです。