2018年
第23回入賞作品
10代の約束賞
父への約束 麦谷 茉白(17歳 学生)
私は小さい頃にお父さんとお母さんが離婚して、私は妹とお父さんの三人家族だった。周りの友達は皆、お母さんがいるのが当たり前だっただろうけど、お父さんが大好きだった私はお母さんがいなくてさみしいなんて思ったことは無かった。お父さんの作るご飯はお世辞にも美味しいとは言えなかったが、それでも仕事が忙しいのに私たちのために苦手な料理をしてくれるお父さんが、私は大好きだった。
小学一年の頃の図工の時間、先生は画用紙を用意して「家族の絵を描こう」と黒板に書いた。妹とお父さんを描き終えた私に友達が、「お母さんのこと、描き忘れとるよ」と言った。「別に描き忘れているわけじゃない」…そう言おうとしたけど、みんなの描いた絵を見て、その言葉は奥に引っ込んでしまった。家に帰っても、お母さんがいない家族ってそんなに変なのかな。なんで私の家にはお母さんがいないのかな…そんなことが頭から離れなくて、その日のお父さんの作った夜ご飯は食べたくなかった。私だけお母さんがいない。周りのみんなと家庭の環境が違うことがいつしか私のコンプレックスになっていた。
中学二年生の授業参観の日。あれだけ来なくていいと言ったはずのお父さんが来ていた。みんなはお母さんが来ていて、お父さんが来ているのは私だけだった。恥ずかしさと一緒にお父さんへの怒りが湧いてきて家に帰ってすぐにお父さんに怒りをぶちまけた。
「なんで来たん。みんなお母さんが来るって言っとったから私だけお父さんが来とったら恥ずかしいからお父さんに来るなって言っとったんに!」
リビングを飛び出して自分の部屋に行き、布団にもぐり込んだ。
窓から日が差して、気がついたら朝だった。リビングにいたお父さんは毎日私に言うはずの「おはよう」を言わなかった。
二ヶ月間、お父さんと一回もしゃべらなかった。その二ヶ月間で自分がお父さんに対してどれだけ酷いことをいってしまったか気付いた。どんな思いでお父さんが私をここまで育ててくれたのかと思ったら涙が止まらなかった。いつも私たちのことを優先してくれて何よりも第一に私のことを考えてくれているお父さんに、勢いとはいえ、あんなひどい言葉を言ってしまったことで心の中は罪悪感でいっぱいだった。
リビングへ行った。「ごめん」と言ったらお父さんも、「不自由な思いをさせてごめんな」と謝っていた。
その日から私は少しでもお父さんの力になりたくて進んで手伝うようにしている。日が経つにつれてコンプレックスも徐々に消えていった。今、私はお父さんの子どもに産まれて良かったと心の底から思っているし、一日もお父さんへの感謝を忘れたことは無い。男手ひとつでここまで育ててくれたお父さん。いつか必ず、親孝行すると約束します。いつもありがとう。親孝行の日までまた長い間お世話になります。お父さんの元に生まれて幸せです。