2018年
第23回入賞作品
佳作
「二人がかりのクン巻き」 松田 正弘(61歳 自営業・飲食店)
「いまデイサービスでな、お友達に教えてもらいながらクン巻き編んでるんや」
今年八十九歳になった母は、昔からマフラーのことを「クン巻き」と言う。おそらく、首巻きが語源だ。
「へえ、マフラー編んでんの? めずらしいな、オカンが編み物て」
「お父ちゃん死んでから働きづめやったさかいな、編み物なんかやったことないやろ?そやからデイサービスで本を見ながらやってたら、仲良しにさせてもらってる太田さんていう人が親切に横で教えてくれはるんや。佳代子が編みかけてたクン巻きをな、私がいつか編み上げて完成させるって佳代子の仏さんに約束したんや」
そして、「松田さんの見てたらイライラするわ、言うていっつも横で笑わはるんや」と言いながら、ちょっと楽しそうだ。
「あんたのクン巻き編んでるさかい、冬までには頑張って編み上げるわ」
「俺にくれるんか?」
今はまだ八月だ。
もう五十五年ほど昔、僕が幼稚園、姉の佳代子が小学生の時だ。父がある日突然心筋梗塞で逝った。三十七歳だった。そのとき母は三十三歳。以来再婚することもなく、僕たち三人は肩を寄せ合い生きてきた。
そして六年前に姉が癌でこの世を去った。まだ五十八歳だった。最愛の娘を失った母の憔悴は想像以上に大きかった。
妻と相談し、休日の日曜日は僕が母のアパートへ行き、母と二人で昼ごはんを食べることにした。姉の写真がある部屋で、毎週差し向かいで母の手料理を食べる。
姉が逝って半年ほど経った頃だったと思う。義兄が遺品をいくつか届けてくれた。若い頃の僕たち三人の写真や母が部屋着で着れそうな姉のカーディガン、僕が聴きそうな音楽CDや姉の愛読書など。その中に、編みかけの編み物とたくさんの毛糸が入った紙袋があった。母は編み物などしたことがなかったから、その紙袋は長いあいだ母のアパートにそのまま置かれていた。
その後デイサービスへ行くようになった母は、向こうでの自由時間をパズルをしたり本を読んだりして過ごしていたのだが、この時間を利用して姉の仏壇に約束したことを始めようと決めた。
編み物の本を買い、姉がどんな編み方で編んでいたのか調べ、ゆっくり、ゆっくり、姉の続きを編み始めた。
「太田さん、パッと見て一発で佳代子が編んでたのはクン巻きやて分からはったんやで。編み方も簡単なやつらしいわ。すごいわぁ」
編み物が得意な人が見ればきっとそういうものなんだろう。おそらく姉は闘病中に、病院や家のベッドで、夫か息子にマフラーを編んでいたんだと思う。
「太田さんがな、私がチャッチャッチャッと編んでしもたげよか?って言うてくれはったんやけど、息子に編んでるクン巻きやって知ったら、それは私が手を出したらあかんなって」と、また一人で笑っている。
結局、白とみずいろの二色で編まれたそのマフラーが僕の手に渡ったのは、年も明けた二月だった。
想像以上にしっかりとした太い毛糸で編まれたそれは、お世辞ではなくとても立派なマフラーで、驚くほど暖かい。
「これ、毛糸が上等なんかな。めちゃくちゃあったかいんや」と妻に話したら、
「当たり前やん。お姉さんとお義母さんと、二人がかりの手編みなんやで」
クン巻きに触れながら妻は、そう言って優しく微笑んだ。