2018年
第23回入賞作品
佳作
たとえ忘れても 西田 金吾(69歳 非常勤講師)
年度替わりの3月、久しぶりに仲間4人が居酒屋に集まった。酒を酌み交わしながらにぎやかに近況報告が始まる。人の話を聴くよりしゃべりたい者ばかりである。話の途中で割り込まなければ、ずっと聞き役に回る羽目になる。それなのに今夜のSは珍しくおとなしかった。
お開きになる前に彼がぽつりとしゃべりだした。「俺、、、このごろよく約束を忘れるねん、、、」4人は約束を忘れても許される仲だった。だからSの次のことばを待たずに「そんなこと誰でもあるわ」「そやそや」「何を気にしてるねん」彼の話なんか誰も取り合わなかった。だが、彼の表情はいつになく硬かった。
「俺、3月で仕事辞めるねん、実は俺、若年性アルツハイマーやねん」3人とも自分の耳を疑った。彼はまだ定年まで数年残していた。人の話が聴けない仲間だが改めて座りなおして「もう一本」と、とりあえずの酒を注文した。Sは子どもも独立したとはいえ、退職するには早すぎる年だった。
「俺、、、仕事でも忘れることが多くなって、みんなに迷惑をかけている。俺、、、忘れることが怖いねん。みんな、、、これからも俺と付き合ってくれるか」区切るように話す彼は真顔だった。さすがにしゃべり好きの仲間もしばらく沈黙し、事の重大さを認識してから「当たり前やがな、これからもずっと友だちやで」「忘れたって大丈夫、俺らがいる」「ありがとうな、、、」「よーし、乾杯!乾杯!」仲間の喜びも悲しみも乾杯で片づけるほどの仲良しだったが、その夜はいつものお開きとは違った。
仲間はそれぞれ認知症の親を抱える年代であるが、若年性アルツハイマーという病気があることを初めて知ることになった。ものの本では若年性のアルツハイマーは老人性と違い進行が速いと言われ、本人や家族の苦悩が取り上げられていた。
4月から在宅となり閉じこもりがちなSをみんなで支えていこうとこれまで以上にハイキングやジョギングと頻繁に誘い出した。もともと4人は登山やマラソンとアクティブな遊び仲間だった。
体力のある彼は山を歩いてもいつの間にか先頭を歩き、ジョギングしてもみんなを引っ張るほど速かった。初めのうちは症状を忘れるほど進行は穏やかだった。ところが徐々に山道を平気で逸れて歩く、「おい、そっち違うで、熊出るぞ」。走ってもコースをよく外す。「おいそっちに、かわいい娘でもおるんか」といつものように仲間が冗談を飛ばして明るい。つられて彼も笑いだす。しかし、穏やかに思えた病気が進行していくのは止めようがなかった。
ある日「俺な、だんだんと言葉が出にくくなった。それでもしゃべりたいねん。時間がかかるけど俺にもしゃべらせてくれ」仲間だから言えることだった。Sが言葉を失っていく苦悩を思い、3人は彼のことばの一言一言に耳を傾けるようになった。
あれから10年がたち、ハイキングもジョギングもかなわなくなってきたが、4人の仲は続いている。Sは青空を眺めてはああ気持ちいいなあ、草花を見つけては奇麗なあと感動する。道行く人にこんにちは、とにこやかにあいさつをする。私たちが忘れかけていた心をずっと持っている。
「俺らはずっとずっと友だちやで」「ずっとずっと友だちやなあ、嬉しいな、仲間ってええもんやなあ」Sがみんなの肩を組んできた。そして彼の得意な青春時代の歌「高校3年生」を歌い出した。4人が一緒になって歌った。「仲間ってええもんやなあ」それはSだけでなく4人共通の思いだった。
Sよ、約束なんか忘れてもいい。けど、俺たちはSを絶対に守るから。彼とこれからできること、彼と一緒に楽しめることを考えるのは仲間の生きがいであるから。