第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2018年
第23回入賞作品

佳作

妹 角谷 未咲(28歳 薬剤師)

 「ミサキ、ちゃんとご飯食べてるかい」
 母の口癖です。
 ぼくが母子家庭という言葉を知ったのは小学校二年生のときでした。六畳一間のアパートに幼い妹と三人暮らしでしたが、母は夜の仕事をしていましたので、いつも二人で留守番していました。
 妹は毎晩泣きじゃくり、泣き疲れて眠りにつく。そんな生活でした。
 朝になっても母が帰宅せず、学校を休んだことは一度や二度ではありません。三日間帰ってこなかったこともあります。妹を家に置いて登校できないので、休むしかなかったのです。
 「ミサキは母子家庭だから仕方ないなあ」
 先生にあきれられ、そのときに母子家庭という言葉を知りました。いまならネグレストで児童相談所に保護されていたかもしれません。
 ぼくは母を恨んでいましたが、心の中では大好きでした。明け方に帰宅し、たばこ臭い服で抱きしめてくれる。目を開けると、お酒臭い息で「ミサキィ」とささやき、ほおずりしてくる。どんなに恨んでも、憎んだことはありません。
 共同玄関のアパートでしたので、隣のおばさんがよく差し入れしてくれました。一番うれしい差し入れは、手料理。特にうれしかったのは、お肉と野菜の入った焼きそばで、いまでも大好物です。母の作る手料理は、おにぎりと卵焼き以外記憶にありません。
 なぜ、うちだけこんな生活なのだろう?
 なぜ、うちには父親がいないのだろう?
 なぜ、母はぼくと妹を放って夜の仕事をしていたのだろう?
 そのことを聞けないまま、母は若年性のアルツハイマーになってしまいました。最近ではぼくのことも忘れたようです。
 「あんた誰?」と言われ、悲しくなり、ぼくが泣いていると
 「よしよし、泣くんじゃないよ」と、励ましてくれます。
 認知症のいまも
 「ミサキ、ちゃんとご飯食べてるかい」が口癖です。ぼくがミサキだとわからなくても、心配してくれているようです。
 子どものころ、自分は何のために生まれてきたのかと、毎日のように考えこんでいました。答えが出ず、思い余って先生に聞くと
 「ミサキは妹のために生まれてきたんだよ。妹が可愛いと思えるならミサキも幸せだ」
 当時は幸せの意味も分かりませんでしたが、先生に言われ、何となく元気が出たことを覚えています。
 生活の中心には、いつも妹がいました。
 妹のためにしっかりしなきゃ。
 妹に勉強を教えなくちゃ。
 妹がいてくれたからぼくは横道にそれず、薬剤師になることができたと思います。
 ぼくも妹も、新聞配達の奨学金を受けながら大学へ進学することができました。勉強と新聞配達の両立は厳しかったですが、ぼくは六年間、妹は四年間、欠勤することなくやり切りました。雪道、凍結路面のバイクの運転も、すっかり慣れました。
 苦学の末、看護師になった妹が、来月お嫁にゆきます。結婚相手はぼくの友達です。
 うれしくて、寂しくて、そしてホッとして、言葉では言い表せない不思議な感情です。なぜか涙が止まりません。
 二十二歳、北海道を出て行く妹は「兄孝行」していないと泣きますが、心配無用です。
 ぼくはこれからも故郷北海道で母を介護しながら、薬剤師として働き続けることを妹と約束しました。そして、帰ってきたときには三人でお酒を呑むことも。いま、幸せの意味が少し分かったような気がします。