第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2018年
第23回入賞作品

佳作

平成指輪物語 3,000円の指輪と100万円の指輪 佐藤 将利(45歳 会社員)

 20数年前、妻にプロポーズをした。当時私は学生で、周囲から経済面を心配する声が出たが、それを押し切り妻は私の元に来てくれた。小さな教会で結婚式を挙げたとき「指輪が必要です」と言われた。お金の余裕がなかった私は、ひとつ3,000円の指輪しか買うことができなかった。妻は何も言わなかったが、自分を不甲斐なく感じた私はこんな約束をした。
 「5年後に100万円の指輪をあげる」妻は笑って「そんな大金があったら旅行に行きたい」と受け流したが、私は本気だった。妻が素敵な指輪をして喜ぶ姿を見たかったかし、周囲を見返したいという気持ちもあった。

 新生活がはじまってしばらくすると子供ができた。とても幸せだったが、生活は苦しかった。働きはじめればお金はなんとかなると安易に考えていが、甘かった。家賃、光熱費、医療費、養育資金。必要なお金が多く、余裕などなかった。100万円の指輪を買うということがどれほど大変なことか、思い知った。

 あっという間に5年が経とうとしていた。車もなく、外食もできない暮らしだったが、毎日が楽しくて辛いとは感じなかった。でも指輪を買う余裕はなかった。5年目の結婚記念日。妻が指輪のことを何か言うかと思ったが、何も言わなかった。私も何も言わなかった。約束は守ることができなかった。

 結婚から10年が経った。子供が増えて私達は5人家族になっていた。子育ては大変だったが、とても幸せだった。この頃には私の仕事がうまくいきはじめていて、少しずつだが暮らしに余裕ができるようになった。私は小遣いをコツコツ貯めて、10万円を準備することができた。約束の年数は過ぎてしまったし、約束の額には程遠いが、次の結婚記念日に指輪をプレゼントしようと思った。ところが友人がトラブルに巻き込まれ、急遽お金が必要になり、私は手元のお金を友人に渡した。指輪を買うことはまたできなかった。10年目の結婚記念日。もちろん妻は何も言わなかった。指輪の約束を気にしているのは私だけかもしれない。私も何も言わなかった。

 結婚から20年が経とうとしていた。私はなんとか安定した収入を得られるようになっていた。子供達も成長した。妻がずっと支えてくれたおかげだった。私は毎年少しずつ貯金をして、ついに100万円を貯めることができた。
 私の心にはいつも「指輪の約束」があった。周囲の反対を押し切って私の元に来てくれたこと。結婚式に安い指輪でみじめな思いをさせてしまったこと。結局周囲の言う通りで、長い間苦労をさせてしまったこと。それでも私のことをずっと支えてくれたこと。そんな妻の想いに答え、約束を守る日がやってきた。「20年前の指輪の約束を覚えている?」と聞くと「もちろん覚えています」と妻は言った。「やっと約束を守ることができそうだ」と言うと、妻は「指輪はいりません」と言った。

 20年目の結婚記念日。家族全員で海外旅行をした。妻から「指輪よりも旅行を」と提案があったからだ。妻も子供達もとても喜んでおり、幸せな家族の思い出がまたひとつできた。

 「指輪はいりません」と言った妻は、タンスから私が20年前にあげた3,000円の指輪を出してきた。そしてすでにメッキが剥がれてボロボロになったその指輪を見ながら言った。
 「指輪はこれで十分です。あなたが約束を守ろうと頑張っていたことも知っています。100万円の指輪よりもずっと素敵なものを、この20年間で私はたくさんもらいました」私は涙を流していた。20年間の様々な思い出が頭の中を駆け巡っていた。涙でにじんだ私の目には、さっきボロボロだと思った3,000円の指輪が、美しく、輝いて見えていた。