第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2017年
第22回入賞作品

グローバル賞

破られるための約束 李 丹石(22歳 大学生)

 「寂しがらないでね!」
 「もちろん!」
 これは、毎回空港で別れるとき、私と両親が交わす約束だ。私は「寂しがらないでね!」と言うと、母は「もちろん!」と返した。
 日本に来て、もう二年になった。日本と天津は遠くなく、飛行機でたった4時間程度だ。でも、私の通った高校は家まで自転車で4分だった。
 天津は中国で北のほうなので、おおらかな人が多く、細かいことを気にしない。ただ、親しい人との間では、感情をめったに表に出さない。今まで、両親と「愛してる」とかを言ったこともない。お互いに恥ずかしがるのが理由の一つだけど、いうまでもなく私も両親もわかっていることだからでもある。
 日本に来るのは出し抜けの決定だった。高校から卒業した夏休みに、「日本に留学するつもりだ」と両親に伝えて、「いいよ」と返事してくれたぐらいの決定だった。子供の頃から、あちこち遊びまわる娘だった。親戚のところに、半月以上泊まることは日常茶飯事だった。両親に会いたい気持ちもなく、両親から会いたいと伝えてくれたこともなかった。幼稚園に入園したとき、ほかの子は涙を流しながら、親を捕まえている手をどうしても離さない時期に、私はすでに先生と遊び始めていたと母から聞いた。
 中国の迷信によると、箸を持つ位置が端末に近ければ、親との絆が弱く、離れがちだといわれている。「遠くていいよ、気にかけなくてすむから」とよく母にからかわれる。

 きっかけはもう忘れたけど、「さびしがらないで」と両親と約束するのは昔からの習慣だった。一晩でも家をあけるたび、両親と別れるとき、必ず笑いながらこの言葉を口にする。言うたびに、必ず「もちろん」と両親から返事してくれる。帰ってきて会ったときに、「私と会いたかった?」と冗談めかして聞くたびに、「会いたくなかったにきまってるでしょ」と冗談っぽく答える。で、その通りに信じてきた。

 2年前、初めて日本に来るときも、空港で「さびしがらないで」とまた両親と約束した。

 日本に来て、一年以上両親と会えないのは人生初だった。両親に会いたい気持ちが意外と強くなって、つらかった。幼稚園で自立した子だと褒められてきた娘を泣かせるほどのつらさだった。でも、両親は私と会えなくても、つらさを感じたことがなかったから、よかったとおもった。

 一年ぶりに帰国したとき、天津漫才のラジオを流しながら、車で父と話をした。
「会いたかったよ。お母さんも会いたがってたよ。」聞くと、私は漫才を聞きながら、泣き出した。
 わが家はマンションの5階に住んでいる。高校は6時に終わるので、だいたい6時半に家に戻る。毎日鍵を持っているけど、4階まで登ると母がドアを開けてくれることに慣れてきた。「おまえが日本に行った後、毎日6時を過ぎて、廊下で何かの音がすると、お母さんがドアを開けようと玄関にいって、『帰ってくるわけがない』と自分を笑う。こんなふうに、三か月ぐらい自分を笑ってたよ。」

約束はお互いに守るためのものだ。約束によって、安心感をもたらす。でも、自分より大切にしたい人を安心させるために、破るとわかっていても、笑いながら約束をする。この破られるための約束が、口から出してない「愛してる」より熱かった。