第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2017年
第22回入賞作品

佳作

ハナミズキ 天竹 勉(62歳 農業)

 夏休みや冬休みの長期休暇が来ると、必ず何らかの役目が与えられた。一年生の時の担任の先生が「この長い休みの時こそ、家族の一員として仕事を与えることが大切です」と言ったのを実直な母は心底信じていた。休みの前に膝詰め談義で、役割が決められた。それは玄関掃除、茄子やきゅうりの水やり、仔牛の飼葉、茶碗洗い、洗濯干しなど、必ず毎日継続するものであった。母は「いいかい、これは約束だよ。休みの間守るんだよ」と念押しを忘れなかった。
 少年期の経験のおかげか、根気よさだけは取得で、私も人並みに定年退職を迎えることができた。米寿を迎える母の祝いも兼ね、温泉に出かけたが、この頃には、物忘れの症状も進行しており、トンチンカンな受け答えも多く、遠出もこれが最後と思えた。それでも夕膳を囲み金杯を掲げると「ここまで生きられ、こうして祝ってくれて幸せじゃ」と涙をこぼしていた。
 五年程前から変調が現れた。保育所帰りのひ孫が持ち帰った紙オムツを、布オムツと信じ、丁寧に水洗いをして物干していたことは衝撃的であった。それを境に、炊事や洗濯など家事一切に影響が出てきた。食器や衣類は行方不明になり、探し出すのに苦労するし、洗濯機など家電操作も怪しくなっていた。母は家事や子守で人生を送ってきた人である。家事が唯一存在を発揮できる価値のよりどころであり、家庭における安らかな精神の居場所だったと思える。家事ができず、家事に失敗することは、自分自身許せないことであり、毎日が自分の存在とのあらがいの日々だったと思える。「もう、頭が何が何やらわからんのよオ」認知症が奪っていくものは記憶だけではなかった。
 やがて着替えも一人ではできなくなり、横にいて、順番に手渡しで着せていく。「こんなことまで、ついてしてくれな、自分ではできんの、情けないな」と聞き返す母に、「そう、頼ったらいいんよ」と返してやる。黙って着た服の襟元がめくり上がっていた。
 いつか「私がいたら迷惑をかける。私のせいで、あんた達もしたいことができん、施設に入れて」と真顔で訴えた。その言葉を受け幾つか見学に行ったこともあるが、もう少しあと少しと日を延ばし、二年になる。「ばあちゃん、施設が空いたって電話があったんよ、いくで」と問いかけると「行くよ、どこにいても辛抱がいるけんな、辛抱するよ」と呟いた。そして、薄曇りの空を見上げていた。窓ガラスに映った目が潤んでいた。
 いつの頃か、朝起きると「今日は何したらいいん」と繰り返し聞くようになった。その日の過し方を尋ねるというより、家の役に立つ役割を求めるというけなげな願望が底にあったと思える。家事は無理で、玄関先に吹き溜まる枯れ葉の掃除を日課とした。貢献できる唯一の約束事であるかのように時間をかけ掃いていた。もちろん、中途半ばに突然終了し、庭木の根元に箒が横たわっていることも再三だった。
 施設に入所の日、外にいる母に「ばあちゃん、出かけるのに何しよん」と強い口調で戒めると「外を掃きよったんよ」と応じたが、ちらっと横目で見ると、どこを掃いたというのか枯れ葉は、そのままあちこちに飛び散らかっていた。
 母を車に乗せ、荷物を取りに納屋に入ったとき、いつもの定位置に箒とちり取が丁寧に置かれていた。ちり取の中には紅葉したハナミズキの葉が数枚掃き入れられていた。それは、今日も約束は果たしたよ、家を離れる私にできる最後の仕事、と無言で訴えていた。
 家族の一員としての務めを果たしたという母の残像が、余りにも切なく哀れで、それでいてけなげな命の残り火がいとおしく思われて、ハナミズキの葉を拾い上げると涙がこみあげてきた。