2017年
第22回入賞作品
佳作
二十五年目の指輪 土屋 匡右(66歳 無職)
人が愛しい人と出会ってから結婚に至るまでには、一般的に三段階で約束を交わすことになる。プロポーズ、親への挨拶、結婚式の「誓いの言葉」の三つである。プロポーズでは本人はたぶん勝率60%以上と踏んで、「幸せにします」とか「大切にします」とか渾身の思いを込めて約束をする。ただ、私は「幸せにします」は不誠実に思えてならない。相手が幸せと思うかどうかまでは責任が持てない。一方「大切にします」は自分の意志だから約束を全うする確率が上がる。次の段階は親への挨拶である。この場合もプロポーズと同じような内容を親にも約束するのだが、この段階では勝率95%を確信している。この二つの段階の約束は言わばプロポーズした側の一方的な口約束である。第三段階は結婚式での「誓いの言葉」で、ここでは二人で同じ約束をすることになるが、こちらは証人が大勢いるし、証文も残る。ところが、式場側から渡された文書を読みあげるケースが多いためか、残念ながら折角の約束が軽くなりがちに思える。
さて、自分はどうだったのか?私は「嘘をつかない」を信条としている。だから、確信の持てない約束はしない。プロポーズも「いいね?」で済ませた。そして1977年10月10日、私は結納のために小石川にある彼女の実家を訪れた。私は中二の時に父が病死していたため田舎から出て来た母と二人だった。軽々に不誠実な約束など出来ないので、「お願いします」だけでいこうと考えていた。チャイムを鳴らして玄関に入ると家の中がなにやら騒がしい。それでも応接間に通され、座卓を挟んで彼女の両親と向かい合った。すると、彼女の父親が開口一番「この話はなかったことにして下さい」と、言い出した。5%だ。私と母はただ唖然として言葉も出ない。彼女の父親が続けた「実は、娘が婚約指輪を都バスに忘れてきてしまったらしい。いろいろ探したけれど見つからない。こんな不祥事をしでかし、とても嫁にやるわけにはいかない」とのことだった。実は午前中に彼女と二人で宝石店に注文しておいた指輪を受け取りに行き、一旦別れたのだが、その帰途のバスに忘れたらしい。私と母はただおろおろしながらも「誰でもミスはします」とか「きっとあとで出てきます」とか、彼女の父親を必死で説得した。指輪は二か月分の給料で買ったもので、すぐに買い直すことは出来なかったが、「指輪は結婚してから、また買いますから、とにかく結婚させて下さい」と懇願した。
私たちは翌年の一月に無事結婚式を挙げた。
その後2003年に銀婚式を迎えた。前の年の暮れに息子と娘から「新宿の京王プラザに食事の場をセットしたから」との連絡を受けた。子供たちに感謝しつつ、二十五年前を思い出した。妻とは職場結婚で、一年間思いを秘めていたうえで、初デートから二か月で結婚の承諾を取り付けた。天にも昇る気持ちだった。それなのに結納の時は大変だったな。「あっ、指輪を買ってない」すっかり忘れていた。妻は二十五年間一度も指輪のことを言わなかった。直ちに、「もういいから」と言う妻を無理やり地元のデパートに引っ張って行って、指輪を注文した。そして京王プラザの最上階で二十五年待たせてしまった指輪を渡した。
それから三年後、息子がフィアンセを連れて挨拶に来た。息子は私を紹介するのに「俺が髪を染めようとしたときに、反対して、『それなら父さんは緑に染める』とか訳分かんねえこと言うんだよ。躾けられたのは嘘をつくなということだけかな」よかった。間に合った。妻は息子が選んだ女性を気に入ったようで、面白おかしく指輪の話をした。そして、私と結婚した決め手を訊かれると「嘘をつかない人だと思ったから」と答えた。
幸いなことに私たちは今年四十周年を迎える。