第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2017年
第22回入賞作品

優秀賞

リンゴとミカン 古垣内 求(78歳 無職)

 人口五百人ほどの村の小学校で、僕の父は教師をしていた。父が勤める小学校に『元田』という独身の先生が赴任してきた。父よりも二歳年少で年齢も近いせいか、二人は次第に兄弟のような付き合いをするようになった。
 元田先生は僕の家に下宿して、昼は農作業を手伝い、夜は子供四人の宿題を教えた。母の台所仕事も手伝って、家族同然の生活が続いた。村の人たちは、先生がこの村で結婚して、一生このまま暮らすだろうと噂しあった。五年経った年の暮、先生のお父様が突然亡くなり、実家のリンゴ園を継がねばならないと、退職して長野に帰ってしまった。
 先生が村を去ってしまい寂しくなったのか、父も二カ月後に退職して、先祖代々続くミカン作りを始めた。教師を辞めてからも、よほど寂しかったのか、毎日のように元田先生のことを家族に話した。
 父が本格的にミカン作りを始めて二年目、丹精込めて作ったミカンを元田先生に送った。箱に中に『これから毎年、俺が生きている限りミカンを送る』と、手紙を入れて。
 すぐに先生からも『僕もがんばり最高のリンゴを作って、先輩に一生涯届けます』と、立派な箱に入ったリンゴと手紙が届いた。まだ電話が普及せず、小包の中に入っている手紙が元気でいる唯一の報らせだった。毎年暮になると、長野と和歌山の間を二人の約束どおり、手紙の入ったリンゴ箱とミカン箱が行き交った。
 父と母がミカン畑で休憩しているとき、
「俺がもし死んでも彼にミカンを送り続けてくれ。ミカンが届かなくなると、気の弱い彼がショック死するかもしれないから」と、母に頼んだ。
 母は「必ず守ります」と、父に約束した。
 何事もなく二十年が過ぎた。
 温暖の地、和歌山に大雪が降った。畑の様子を見に行った父が突然倒れ、帰らぬ人となった。母は迷ったが父の死を報らさず、遺言どおりにその年もミカンを送った。何も知らない長野からリンゴが届いた。
 母が父に代ってミカンを送り始め、七年が過ぎた。七回忌の法事で故郷の実家に帰ると、佛前にいつものようにリンゴが供えられていた。母は「最近、リンゴ箱に手紙が入っていないわ」と、つぶやいた。(少しおかしい)と、父の遺言と先生を思い出した。
 僕は元田先生あてに、事情を打ちあけた手紙を送った。奥様からすぐに返事があった。「主人も七年前に亡くなっております。死の直前『俺が死んだのを兄貴に報らせるな。先輩は優しいから体が心配なんや。リンゴだけを送り続けてほしい』と、言い残しました。私は言われたとおりにしました」と。
 先生も父も相手を気遣って遺言したのだろう。七年ものあいだ、二人の居ない長野と和歌山を、リンゴとミカンが行き交っていたのだ。
 それからも奥様と母が二人の生前と同じように、リンゴとミカンを送り続けた。が、やがて奥様からのリンゴが届かなくなり、佛前に供えられなくなった。
 今では、リンゴの供えていない佛前を、父の遺影が眺め、寂しそうに笑っている。