2017年
第22回入賞作品
大賞
恩送りの約束 梅田 純子(59歳 教師)
私は38年前中国語を学ぶために台湾へ行った。まだ留学生の少ない時代だ。そんな私をいつも気にかけてくれたのがキャンパスで知り合った陳さん夫妻だ。ある日、なぜそんなに親切にしてくれるのかと尋ねると、陳さんは「私も以前、日本に留学していた時、ある老夫婦にお世話になりました。彼らにお礼をと言うと、きまって『いつか日本人の若者に同じようにしてあげてほしい』と言われました。だから、これは私の恩返し、いえ、恩送りの約束なのです」と教えてくれた。
「恩送り」とはなんと素敵な言葉だろう。
陳さんから受けた恩を送るため私は、日本語教師の資格を取ると再び台湾へ渡った。短い間だったが高校生に囲まれながら沢山の思い出と経験を得た。
それから故郷新潟に戻って、30年が過ぎたある日、一通のエアメールが届いた。「先生を台湾にご招待します。是非いらして下さい。台中商専三年一組卒業生一同」。
教え子たちは皆、貫禄のある大人になっていたが気持ちは昔のままで少しも変わっていなかった。別れ際に彼らから、心温まるプレゼントを貰った。勿忘草(ワスレナグサ)の花が描かれた白い水筒だ。それを見た途端、当時の出来事がフラッシュバックした。
30年前、この子たちの最後の授業で私は「勿忘草をあなたに」を歌った。生徒たちから歌詞の内容を問われ、「たとえ日本に帰っても絶対にみんなのことを忘れない。みんなも先生のことを忘れないで欲しい。そういう意味です」と説明すると、一人の生徒が突然立ち上がり、「僕たち絶対に先生のことを忘れません。大人になったら、きっと先生を台湾に招待します」と言ったのだった。他の子たちも赤い目を擦りながら「うん、うん」と頷いていた。
あの時のことを覚えていてくれたのだ。突拍子も無いような同窓会には、ちゃんと理由があった。私の心は震えた。「一生大切にするからね」と固く約束して、水筒を受け取った。
翌日は高雄へ移動するため、朝早くホテルを出た。南の島、台湾もさすがに冬の朝は寒く、貰ったばかりの水筒に熱々のウーロン茶を詰めて空港へと向かった。
荷物検査場は長蛇の列だった。ようやく私の番が来てホッとしたのも束の間、思いもよらない事件が起きた。検査官が私の水筒を指さして「液体物は機内に持ち込めません。没収します」と言うのだ。
動揺して弱気になった私の脳裏に、生徒たちの顔が浮かんでは消えてゆく。30年前の約束を守ってくれた彼らとの約束を、私が守らないわけにはいかない。
両のこぶしをギュッと握り、勇気を振り絞って、「この場で水筒の中のお茶を飲み干します。それなら文句はないですよね」と問うと、嘲るように一言、「プリーズ」と返ってきた。
私は意を決して水筒の蓋を開けた。しかし、熱々のお茶はとても一人で飲み干せるようなものではなかった。
その時、私の後ろにいた青年が、ニュッと手を伸ばし、私から水筒を奪い取った。驚いて振り返ると、彼はニヤッと笑い、お茶をゴクっと一口飲んだのだ。その後ろにいた男性も青年から水筒を受け取り、ゴクリと飲む。
あれよ、あれよという間に、水筒は後ろへ後ろへと手渡され、ゴクリ、ゴクリとリレーされていく。リレーは、六人目の女性のところで止まった。彼女が右手で水筒を高く掲げ、逆さまにして振り、空っぽになったことを示すと、ワーという歓声と大きな拍手が起こった。私は目に涙を溜めて、彼らに「謝謝」と何度もお礼を言った。
私はまた一つ、大きな恩を受け取った。帰国したらこの恩を誰かに送ろうと誓った。
こうして連綿と続く恩送りの約束が、今も私の人生の原動力になっている。