第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2016年
第21回入賞作品

グローバル賞

先生との約束 リク サンサン(25歳 留学生)

 初めて先生と出会ったのは大学の1年生の時でした。当時、私は初めて日本語と出会いました。私はとても発音が下手で、簡単な「アイウエオ」でさえもうまく言えず、「発音がおかしい、もう一回」と授業の中で先生によく言われました。
 正しく発音できるまで、繰り返し練習する必要があるために、他のクラスメートの時間をロスしないよう、先生は大学のカフェで私に特別指導をしてくれました。毎週木曜日の昼に、先生がご飯を食べているそばで、私は教科書を読み、先生はそれを聞きながら発音のおかしいところを教えてくれました。これを3年間つづけたのです。先生は一回も欠席したことがなく、毎週木曜日にカフェで私を待ってくれていました。最初は簡単な発音の練習から始めましたが、2年生になった時には、私は日本語で先生と日常会話ができるようになりました。片言で一生懸命に先生と日本語会話を練習しましたが、いくら変な日本語を使っても、いつも丁寧に答えてくれました。
 先生と出会った4年目の春休み、突然先生との別れが来ました。私は交換留学生として、日本の長崎に行くことになったのです。日本に留学して3か月が経った頃、友達から先生が日本の実家に戻ったと聞きました。その理由は先生に癌が見つかり、日本に戻って治療を受けるためでした。
 先生と同じ日本にいても、私は九州におり、先生は名古屋にいるために、先生とのメールのやり取りを始めました。恥ずかしい話ですが、先生に送ったメールの文章にもよく文法や表現の間違いがあったりして、毎回先生は丁寧に赤い字で修正して送り返してくれました。
 あれから4年経ち私は25歳になり、日本の大学院で日中の架け橋を目指しながら勉強していました。先生もまた癌の治療を4年間受け続けていました。大学院生になった私は学校の勉強とアルバイトをすることに精一杯で毎日忙しく、私は同じ日本にいながら先生にメールするのも次第に少なくなっていきました。
 2016年の7月のある日、半年連絡をくれなかった先生からメールを頂きました。「私は最近、癌が悪化し、入退院を繰り返しています。」というメールでした。これを受け取った私は先生に会いに行くとメールをしました。しかし、約束の日の二日前、私は風邪を引いたために、来週でも行けると思い、「今週は風邪を引いて行けなくなり、来週先生に会いに行きます。」と先生にメールをしました。先生は「分かりました。勉強頑張って」とだけ書いて返事をくれました。
 それから四日後、先生の友人からメールをもらいました。その内容は「先生が昨日なくなりました。」との衝撃的な文面でした。
 その瞬間、「先生がなくなった」の言葉が頭の中で響き渡り、私は何も考えられなくなってしまいました。先生がいない、嘘だろうと。
 最後の先生とのお見舞いの約束は先生のお墓まいりになってしまいました。
 あの時に先生と交わしたメールが最後になってしまったのです。こんなことになることがわかっていたら、あの日はどんなことがあっても、先生に会いに行ったのにと思うと残念でなりません。今、私はすごく悔しくてどうしようもありません。私はあの日に病院に行っていれば、先生と最後のお別れができたのにと思うと、先生に申し訳なくてしようがありません。でも…でも私は二度と先生に会えないのです。
 先生との約束を破ったことを先生は許してくれるだろうか、と考え始めるとつらくてしばらくは何もできません。
 私の人生の中で、大きな影響を与えてくれたのは先生でした。日本語の勉強を指導してくれただけではなく、日本と日本の文化について多くのことを先生から学びました。もし先生とカフェでの練習がなかったならば、日本語を好きにならなかったかもしれません。私は先生から学んだ多くのものを最大限に生かし、社会に貢献をすることが、今は亡き先生に対する唯一の恩返しであると私は考えています。