2016年
第21回入賞作品
グローバル賞
約束の煙突 エットハミ アメド(40歳 パティシエ)
「パパ、サンタクロース来るね?」「らっちゃんいい子だからプレゼントもらえるね?」
「煙突がないけれど大丈夫?」
「らっちゃんのお家には煙突ないから来れないかなぁ」
私が帰るなり、4歳になったばかりの娘が矢継ぎ早にサンタクロースについてたずねてきた。
「え?サンタクロースなんていないよ」
「ううん、いるよ。保育園の先生が言ってたよ。赤い服を着ているんだって」
「白いひげもあるんだよ」
「すごく太ってるんだ」
「ふーん」
その日、子供が寝たのを確認すると、妻とサンタクロースについて話をした。
私は子供の頃からイスラム教とともに育った。イスラムで大切なことは、ウソをつかないこと、困った人を助けること。特にイスラムの教えに関係なく、私にとってウソをつくことはとても嫌なことだ。だから実在しないサンタクロースについて、いるなんてウソはつきたくなかった。
妻が言った。
「人を不幸にするウソは私もいやだよ。だけど、夢を見せてくれるウソならいいのじゃないかな?大人になるにつれ、サンタクロースが実在しないことくらいわかると思う。多くのウソは相手ばかりでなく自分も傷つけるけれど、人をあたたかな気持ちにする優しいウソもあるってことを知ってもよいと思う」
それから4日間、このことばかり考えて過ごした。
サンタクロースの話がウソだってわかった時、きっと悲しくなるだろう。
それなら最初からいないと言ったほうがいいんじゃないか、とか。
でもあんなにも楽しみにしている様子を見ると、いないと言って悲しませるのもかわいそうになってくる。
悩みながら日が過ぎていった。
クリスマスまであと数日となったとき、妻からこんな話を聞いた。
娘が、保育園の先生に、自分の家にはサンタクロースが来ないから寂しいと言ったそうだ。
「らっちゃんは悪い子なの?」と聞かれた先生も、うちの事情をわかっているからか
「らっちゃんはとっても良い子。サンタクロースは時々道に迷って来られないこともあるけど
来るといいね」
と言ってくれたという。
その日の夜、娘に言った。
「サンタクロースが来てくれるように煙突を作ろうか」
「本当?約束?約束だね?」
「ああ、本当だよ。約束だ」
「約束嬉しいな、らっちゃん約束が好きなの」
「サンタクロースが入れるような煙突作ってね」
娘は本当に嬉しそうに何度も何度も飛び上がった。
下駄箱から長靴の片方をもってきて、何か紙を入れた。
「サンタクロースにお手紙を書いたの。」
「たくさんお菓子欲しいですってお願いしたよ」
最初、私はウソをつくのは嫌だと思ったけれど、クリスマスというのは、娘に夢をプレゼントすることなのかもしれない。
目に見えないこと、夢を信じることを大切にしようと頑張ってサンタクロースの話をする大人。
そしてそれを信じようとする子供たち。
そう思うとクリスマスが少しわくわくする楽しい日に思えた。
クリスマスの前の日に、ダンボールで煙突を作った。
約束の煙突は少しガタガタで太ったサンタクロースが入ればつぶれてしまいそうだ。
けれどきっと夢を運んで煙突に入ってくれるだろう。