2016年
第21回入賞作品
中学・高校生特別賞
小林家の条約 小林 紗雪(17歳 学生)
私は年一度、両親と共に時間旅行をしている。
私の父は工事関係の仕事で忙しく、家事の事は何一つしない。父親は「一家の大黒柱」という表現がぴったりなのはいいが、仕事以外に何もしないのでは困る。母は病院で介護士として勤めているため、夜勤や遅番で帰ってこなかったり深夜に帰ったりと忙しい。私には姉が2人いるが、すでに社会人の姉と自宅外で勉学に励んでいる大学生の姉のため、今は実質3人で暮らしている。自分の事しかやらなくて、ほんの少し、洗濯物を干しただけでも大の男が「オレは手伝った。何にもしてないわけではない。」と駄々をこねているかの様にピクリとも動かない父。仕事も家事もそつなくこなし、前々から父の行動や言動が少しずつストレスがたまり始めている正論しか言わない母。当時高校へ入学して数カ月、軽い携帯依存症になっていて勉強も家事の手伝いも何一つしなかった私。外見もどっちかというと父似だが、こういう所も父譲りなのであった。そんな3人の日常は、常に喧嘩と隣合わせだった。
私が高校1年生の年の9月15日。いつもは喧嘩をして翌日には普通に仲は元に戻るのが、その日は昨晩の大喧嘩から引き続き口をきいていなかった。きっかけは本当に些細なことだった。母は細かい性格だったため、父の食べ方が気にさわった様であり、プライドが人より少し高い父はとても怒った。それをきっかけに、常日頃からたまりにたまっていたストレスを母は父にぶつけた。母は正論しか言わない性格のため、父は何とも言い返せない。今までの大喧嘩の場合、私は関わりもせず姉達に任せていたが子供が私だけしかいない現況ではそうもいかない。私は面倒くさいと思いながらも、まさかの事があってはいけないと思い、喧嘩を止めに入ろうとしたその時。父が家を出ていこうとした。今考えれば、父の実家なのだから出ていっても頭を冷やして帰ってくるだけ、という考えが出る。しかし初めて止める役に回った私はそれを本気にし、私自身も喧嘩に加わってしまっていた。結局その大喧嘩は父の「今日は結婚記念日なんだからもうやめよう。」という言葉で幕が降りた。私はその時、記念日を忘れていた事とそのような大切な日に大喧嘩をさせてしまった事をとても反省した。そんなくだらない事で大喧嘩をするなんて大人げない。こんなことを言われるとは思うが悪いのは私だった。
数日後、例の大喧嘩を3人で反省したところで、父は「条約を結ぼう。」と言い出した。母と私はとりあえず訳がわからなかった。当然である。父が言うには、喧嘩が多すぎるため、決め事を守る。いわゆる約束をするという事。母は「どうせすぐ忘れるから別にいいよ。」と言い3人の中で条約が結ばれた。条約が制定された次の日曜日にリビングなどのあらゆる場所に紙が貼られた。それは父には似あわないカラーペンで、カラフルに『小林家仲良し平和気づかい条約』と書かれていた。ネーミングセンスが全く無い父に母と私は笑うことしかできなかった
例の条約ができて以来、家では喧嘩が減った。減っただけで、無くなった訳ではない。そのため、私が3人の中で一番約束を守っていると思っていた。しかし違かった。条約の内容はほとんど名前通りだが、一つ違うのがあった。それは「毎年結婚記念日は子どもと新婚時代に戻って過ごす」ということだ。大の大人が何しているんだ、と母は相当嫌がった。だが毎年忘れず、嫌な顔一つせず過ごしているため、一番約束を守っているのは父と母だと思った。
そのため私は年に一回、父と母によって新婚時代にタイムトリップさせられている。