2016年
第21回入賞作品
佳作
バイエル六十六番の約束 毛利 泉(54歳 主婦)
たどたどしいピアノの音が聞こえる。古い曲だ。テンポがだんだん遅くなる。あ、途切れた。初めから弾き直すのか迷うような音が続く。実家の年代物のピアノは、調律を長くしていないせいか、音がはずれている。
丸くなった背中を向けてピアノを弾いているのは、もうすぐ八十歳になる母だ。
曲は、バイエル六十六番。昔のピアノ入門の定番だったバイエル教則本の一曲だ。
保育士になるため、若いころの母がピアノの特訓をしていた時に、好きだった曲だそうだ。もう六十年近く前に。
曲が終わると、少し顔を赤らめ、彼女は恥ずかしそうに言い訳をする。いつも。
「下手になったなあ」
そして、保育士試験をめざしていた頃、独学でバイエルの練習曲を毎日弾き、ついに全曲弾けるようになるまでの長い物語が始まる。合格した時の喜び。念願かなって保育士になり、自分のピアノ伴奏に合わせて歌う子どもたちの愛らしい様子。まるで、ついこの間のことのように、母は目を輝かせて話す。
何回も、何十回も聞かされてきた曲、同じように聞いた話。
でも、最近、その様子は変わりつつある。母の物忘れが進んできたのだ。得意だったはずの料理のレシピを思い出せない。大好きだった庭の手入れができなくなった。しっかり者の主婦で、家内に目を配り、てきぱきこなしてきた家事。当たり前だったことが、できなくなった。そして、できないことが増えてきたことに、本人も家族も戸惑う日々だ。
そのなかで、今の彼女にとって楽しみであり、日課がピアノである。
母はとても厳格な人だった。子育てのために保育士の仕事は私が幼い頃に辞めてしまったが、ピアノへの情熱を私に託した。家を建てる時にも、ピアノの置ける部屋を作ることを優先したと聞く。もの心つくかつかない頃から、音楽教室に私を通わせ、ピアノの練習をなまけないように見張った。練習不足を叱ることも度々あった。当時の私はそんな状況が息苦しくて、叱られてばかりのピアノの時間が苦痛だった。結局、数年でピアノをやめてしまい、母をがっかりさせることになる。
母への反発もあり、進学、就職、結婚と、ほぼ意図的に実家を離れた私にかわって、母は、自分でピアノを再び弾くようになった。何年もかけて、また弾けるようになったバイエルだ。帰省した折に、母のピアノを聞くことは、抵抗や、胸が痛んだ時期もあった。
今は違う。母のバイエルと思い出話を聞くことが、私の楽しみの一つになっている。
母に求められて、私も鍵盤に向かう。『エリーゼのために』などをリクエストされることもある。私の音もかなりあやしいが、母はとても喜び、手放しでほめてくれる。
「すごいなあ。うまいなあ」
自分が子どもの頃、一番言ってほしかった言葉かもしれない。私も母をほめる。
「お母さんのピアノも、うまくなっているよ」
母は、嬉しそうに笑う。
私は、ピアノをまた弾くようになった。今、母と弾くピアノはとても楽しい。
「ピアノ弾いている?」
「弾いているよ」
母娘の合言葉だ。
「バイエル六十六番。いい曲なのよ」
母が電話口で力を込めて言う。
「今度、聞かせてね」
何度でも、聞かせてほしい。忘れないで、お母さん。約束だよ。
母が、繰り返し同じ曲を弾き、同じ話をすることさえ、できなくなる日が、やがて来るかもしれない。それまで、少しでも長く、少しでも多く母のバイエルを聞きたい。子どものような笑顔を見たいと願っている。