2016年
第21回入賞作品
佳作
父と母との約束 宮澤 愛花(17歳 高校生)
私は自分の両親と約束しています。どのような約束かといいますと、両親の生き方から学ぶことです。一方的な約束ですが、私は父と母とのこの約束を大事にしています。では、父と母はどのように生きてきたか、少し説明したいと思います。
父は私が2歳の時に亡くなりました。しかし、父の死は今年の真田丸の真田幸村並みにかっこよい死にざまです。そもそもなぜ父は死んだのか。私の父は自分の夢を叶えるため死んだのです。父の夢は中国に行き日本語を教えることでした。しかし、中国に行けるチャンスが来たとき、父は私の母親と結婚し、6人の子供がいたのです。私は一歳でした。母は中国行きには大反対。ですが、一番の問題は父が生まれつき心臓が弱く、公衆衛生があまりよくない中国に行くのはとても危ないことでした。ですがそれでも父は反対をすべて押し切って、家族を連れて中国へ行きました。そして、そこで日本語を教えました。そしてなんと弟が中国で生まれたのです。それからまもなく私の母が病気になりました。運悪く母の病気のウィルスが父の心臓に入りこみ、2日後には死にました。母は父の最後の言葉すら聞くことができなかったそうです。父が死んで我々宮澤家は日本に戻りました。私の母はお父さんの方の家族に大変恨まれたそうです。父の死をすべて母のせいにしていたのです。今ではなんとなく仲良くなりましたが。このようにして父はいろいろな人を巻き込みながら自分の夢を追って、叶えたのです。私の父はとてもまっすぐで頑固な男です。そして、なによりも自分らしく自分の人生を歩んだのです。
母もまた、沢山苦労をして、自分の人生を自分らしく生きました。母はとても強い女であると同時にとても優しい人です。女手一つで私達兄弟7人を育ててきました。この時代に子供7人を女一人で育てるのは本当の大変だったと思います。しかし、母は私達を育ててただけではありません。心も立派に育てました。私の家族は一時、とても(経済的に)苦しい時を経験しました。しかし、私の兄弟は自分たちが貧困にいることや自分たちの状況に文句を言ったりしませんでした。なぜならば、私たちは幸せを手に入れる方法を母から習ったからです。そして、それは決してお金では買えないものです。友達はみんなDSやビデオゲームを持っていましたが、私の家族はそれを持っていませんでした。しかし、その代わりにリビングでいつも家族とトランプをやったりおしゃべりをたくさんしました。ディズニーなど遠くに遊びに行けなかったので、自転車でサイクリングに出かけました。確かに私の家族はほかの人と比べて持っているものは少なかったです。それでも、私は一度も自分が貧乏だと思ったこと一回もないです。母はそのように私達7人を育てました。母は数年前このようなこと私達兄弟に言いました。
「私の夢はみんな、私の子供が自分の夢を叶うこと」と言っていました。そして、私達はそれぞれの夢を追い、叶えています。例えば、一人の兄はプロのキックボクサーです。もう一人は絶対音感を持った素晴らしいピアニスト、もう一人は早稲田大学の国際教養部に入学し、姉はイラストレーターです。私も国際公務員になるため英語力をつけ、英検準一級を取得しました。このように兄弟がひとりひとり夢を追いかけるようになったのは、母のおかげです。母が自分の夢をおいかけかなえたおかげです。
私の父、母、はそれぞれ自分らしく自分の人生を歩みました。自分らしく生き、口だけでそれを伝えるのではなく、行動で示しました。そして、私はそこから学びたいのです。何があろう、誰に反対しようが、自分は自分らしく生きる!それが私が父と母とした一方的な約束です。