2016年
第21回入賞作品
佳作
おかあちゃんのスケジュール帳 後藤 喜朗(53歳 教員)
「もの凄い量だね。いつになったら終わるのかな。」
母親の遺品整理をしながら弟が叫んだ。「あっ、手帳があるよ。おかあちゃんのスケジュールが書いてある。」
私の家は幼い頃から非常に貧しかった。父親が事業に失敗し、莫大な借金が残り、実家は他人の手に渡った。母親は、家計を支えるために寝食を忘れ朝から晩まで馬車馬のように働いていた。そのことを裏付けるかのようにスケジュール帳はびっしり埋まっていた。「これだけ働けば身体を壊すね。本当におかあちゃんは、働き者だったね。」
そう眩く弟は、寂しそうであった。私の目からも一筋の涙が流れた。「あれ、毎月、月末にハートマークが書いてあるよ。これって何だろう。」
確かに、月末には赤のペンでハートマークが書いてある。父親とデートの約束でもしていたのだろうか。いや、母親にそんな余裕があるはずがない。私たちは、それ以上詮索することを止めた。
次の日、私と弟は香典の整理をしていた。その中から、しわしわに汚れ、今にも破れそうな千円札が三枚発見された。「いくら葬儀には新札がNGだからって、こんなに汚いお札は非常識だな。」
相変わらず弟は口が悪い。「折角、おかあちゃんのために頂いたのに失礼だぞ。おかあちゃんも怒っているぞ。」
私は、弟を嗜めた。記帳も無かったため、その古い千円札三枚をくださった方は結局分からなかった。
時は流れ母親の四十九日の法要があった。親戚の叔父さんに酒を注ぎに行った時、驚くべき事実が判明した。「たぶん知らないと思うけど、お前のおかあちゃんはすごい人だった。毎月人助けをしていたからなあ。公園のホームレスの方々に衣服や食料の差し入れをしていたよ。」
私は、後頭部をガツンと殴られたかのような大きな衝撃を受けていた。叔父は続けた。「通夜の時、受付に千円札を裸で置かれた方が三名ほどいたようだった。その方々は、葬儀場の外から仏壇に向けて手を合わせていたらしい。」
私は、ようやく状況が呑み込めた。母親は、自分が貧しいにもかかわらず、公園のホームレスの方々に手を差し伸べていたのだった。その感謝の思いで、ホームレスの方々が母親の弔問に来てくださったのだろう。外からお参りをされたのは、周りに気を遣われたからに相違ない。裸の千円札は苦労して捻出された貴重なお金なのだろう。
また、スケジュール帳のハートマークもこれで理解ができた。母親がホームレスの方々を支援に行くのが月末であったのだ。ハートマークは、母親の優しさと温かさの象徴だったのだろう。さらに、ホームレスの方々との約束を示していたのであった。
我が家の生活は、決して楽ではなかった。しかし、母親は、自分が貧しいにもかかわらず、自分と同じような境遇の方々を支えていたのであった。弟にその事実を語ると弟は号泣していた。そう言えば母親は、町で困った人を見ると必ず声を掛けていた。面識のない人に対しても大きな声で笑顔で挨拶をしていた。私は、母親のそうした生き様を改めて知り、感銘を受けた。母親を誇りに思った。
以前、新聞でホームレスの方々へ炊き出しをするボランティアの団体の記事を読んだことがある。あのハートマークは、母親とホームレスの方々との心をつなぐ約束の証だったのだ。私は、母親の遺志を受け継ぎ、ホームレスの方々を支援するボランティア活動に参加をする決意をした。
私は、母親の仏前に私自身の志を報告するとともに、母親の遺志を継ぐ決意を固く誓った。遺影の母親は、にっこりと一層微笑んでいるかのようであった。