2016年
第21回入賞作品
大賞
死者からの贈り物 松永 千壽子(72歳 主婦)
十二月二十日夜
「あんたが死んだら俺が一晩一緒に寝てやるから、俺が死んだら、今みたいに手をつないで一晩一緒に寝て欲しい。」
と、私は夫に頼まれた。
これは、今から十八年前の一月五日付産経新聞の“プロミス”に応募した私のエッセーの書き出しである。この日私は、夫がどうして突然こんなことを言うのか、聞いてもみなかった。私達夫婦は、毎日いろんな事を沢山話した。しかし今思うと、肝心なその時々のそれぞれの気持ちを明らかにする事は少なかったのである。特に夫は。そして、私は極く普通に夫の方が私より先に逝くと思っていたし、夫も又そう思っていたと思う。この時、夫も私も五十三才であった。
その数年後と思うがやはり夜、多分夫が言い出したのだろう。死とはどんなものなのかと。私は死についてあまり考えた事がなかったので「向こうのお父さん(私の実家の父)は無に還ること、何も無くなることだと思うと言っていたよ。」と言った。夫は「俺もそう思う。」と言い、死ぬのが恐いと付け加えた。「死の何が恐いの。」と問うと、「自分が無くなってしまうのが恐いのだ。」と言う。周りに貧着せず、いつも自分の考えを通す夫の言葉とも思えず、私はこの返答に困惑した。死を自分の事として真剣に受け止めているらしいこの時の様子は、その後の私を時々不安にさせた。そして、死んだ夜の約束とこの時のことはずっと忘れることはなかった。
今から一ヶ月半前の十一月の末に夫は肺ガンで亡くなった。三年五ヶ月間の闘病生活であった。七十一才だった。夫は戻りたかった家に戻って、六日間家に居ることができた。そして亡くなった日から三日間、私は夫の横に蒲団を敷いて、夫の手を取って眠った。夜中に目が覚めるといつも、私の手は夫の手から離れていた。冷たかったからである。しかし、約束は守れたと私は思った。十八年前の約束を私が覚えていて守ったことを、夫が分かったとは思えなかったが、果せた事が嬉しかった。夫とはもうひとつの約束があった。
亡くなる前の一ヶ月間の入院生活中、私は毎日病院に通い、最後の一週間は病院に泊まり込んでいた。次第に体力が衰え、激痛と呼吸困難の中で、何かをしなければ生きている証にならないと、持てる力を振り絞って生きている夫の姿に、あゝ私の夫はこんなにも強かったのだと大きな誇りを感じた。懸命に生きる夫に死の恐怖があるようには思えなかった。只たった一人で別の世界に行こうとしている夫は、さぞ淋しいだろうと思った私は、「ずっと一緒に居ていい。」と夫に問うた。夫が大きく頷いた。それからは、淋しくないようにと、ずっと一緒に居るからと時々声を掛けた。そして数日後、夫は、大きくひとつ息を吸い、後、静かに息を引き取った。
何を見ても何をしていても夫のことを思い出す。本を読んでいるのかもしれない、とそっと階段を上って部屋を見る。明るい日差しの中に入院した日のままのテーブル、乱雑に積まれた何冊もの本、食べかけのチョコレート、それだけ。もしかしたら、声が戻ってくるかもしれない、と夫の携帯に電話を掛けてみる。使われておりませんと受話器の向こうから女性の声。こんな事の度、悲しみと寂しさが押し寄せる。その度に私を救ってくれるのが、「ずっと一緒に居る。」という夫との約束だった。夫の為と思ってしたこの約束は、私の為だったのである。亡くなるとは無くなることだった。死者はその人を思い出す人の心の中にだけ居る。夫との最後の約束も又、私一人が守っていくものなのだ。それは私がこれから力強く生きていく為のものであり、夫への感謝の証しともなる、死者からの贈り物だったのだと今気づいた。