第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2015年
第20回入賞作品

佳作

約束でつながる家族の形 中村 恵理香(18歳 高校生)

 私の家族はたぶん、普通の家族とは違うのだろう。そう断言するには、「普通の家族」というものがどういうものなのか私には判断しきれないのだが、少なくともそう感じることがある。決して悪い事ではないと思う。前へ進むために母と父の離婚は必要な事だった。生涯を一人の他人と一緒に生きるという事は、それほど難しい事なのだ。私はむしろ離婚してほしいと母に言っていた。私は父が嫌いだった。大きな不況が来た時、母はクビになっても家族を養うために必死で仕事を探し、就職をしたのだが、父はクビになってもそのまま職探しすらしなかったのだ。長い間母は家族を養っていた。それなら離婚しても変わらないのではないかと、母を説得し、母は私と妹の両方を連れて、ついに離婚に踏み切った。私は不謹慎ではあったが、これからの生活に期待をふくらませていた。
 そして、それからの生活は何というか、とても自由で解放的だった。私の家族、今は母と妹だけだが、それぞれとても気が強く、言いたい事を言いたい放題言う仲だ。生計的には母子家庭だからそれなりに苦しいが、自分たちで生きていかなければならない分、生きる力が強くなったように思う。前よりもっと家族で協力して家のことを回すようになった。母は、父と別れた当時、頻繁に私と妹に言っていた。「家族なんだから、協力して生きていかなければいけない。」と。これは、私たちが交わした、唯一の約束だった。それから、父とは疎遠になり、いつの間にか父は私の記憶の片隅に追いやられていった。
 私が父の事を一番強く思い出したのは、東京の専門学校へ受験に行くために一人で泊まりに行った時のことだった。母は四の五の言わせず、私を一人で東京に行かせた。私は大の方向音痴で、半泣きで道行く人に目的地を聞いて回った。なんとか途中まではうまくいったのだが、宿泊予定の寮がどうしても見つからなかった。泊まる事は自分で決めたから、その時自分の無鉄砲を恨んだ。誰も知る人のいない東京の地で、夜だったので私はかなり焦った。その時、携帯が鳴った。母からだった。何回も恐いくらいたて続けに母からの着信があった。これは、帰ってから知った事だが、私の携帯にはGPS機能がついていたそうだ。私が全く寮とは別の方向に向かっていたため母の心配が頂点に達したのだろう。結局自力で寮へは無事着けたのだが、この時ほど強く思った事はなかった。きっと自分の事を一番に心配してくれる人は、家族だけだ。母と妹だけだ。自分が別の場所へ行き、助けられないとしても、しっかり最後まで見守ってくれるのだろう。そして、父は私がどこへ行こうが、どこで死のうが全く干渉することがないのだと、初めて気が付いた。
 母は父と別れた当時、交流は続けてほしいと言っていた。だが、父は私たちとの縁を切った。離婚しても繋がっている家族もあるはずだ。だが、私たちは繋がっていないのだ。それが私が、普通の家族とは違うのだと思う理由だ。だが私は不幸ではない。私を守って、愛してくれる家族がいるからだ。
 「家族」とは、言葉では言い表わせない不思議なつながりを持ったものなのだろう。自然と助け合って生きていく人間の集まりなのだろう。どんな形であろうと、これからきっと母の言っていた「協力して生きていく」という約束を守っていれば、どこへ行こうと何をしようと、家族として繋がっていられる。それが私たちの家族の形だ。