2015年
第20回入賞作品
佳作
石を洗う 関口 眞砂子(58歳 非常勤職員)
その石は見た目よりなめらかで温かみさえ感じられた。触れているうちにその感触がだんだん指先に甦ってきた。
毎年、年末になると、祖父は幼い私に黒い玉砂利を洗うように頼んだ。ご褒美がほしくて、いくつもの石を冷たい水で丹念に洗った。那智の黒石 玉砂利は小さな庭の蹲のそばに五十ばかりだったか、並べて置かれてあった。私は山茶花の花や錦木の紅葉に心魅かれていたものの、やはりチューリップやパンジーに憧れを感じていた。だからただ置いてあるだけの黒石には何の興味も関心も抱くことができなかった。
また「なちのくろいしは貴重で上等なんだ。」としきりに唱える祖父の言葉に「なち」が地名なのか何なのかわからないまま、また尋ねる気さえしなかった。ただ早く石洗いを終わらせ、「きれいになったな、マコは洗うのが上手だな。」の祖父の言葉と「これでお菓子でも買っておいで。」とお小遣いをもらうのが楽しみで頑張っただけのことだった。
その祖父が亡くなって三十年たった。私もいまは子供を持つ親になった。家は建て替えられ、庭は狭くなった。那智の黒石だけは何事もなかったように蹲のそばにひっそりと置かれている。祖父が亡くなってから誰にも洗われることなく。
そして、晦日を迎え、庭を掃いていたそのときに黒石にふと目を引かれた。幼い私が懸命に洗面器の中で黒石を洗っている姿が、縁側で祖父がその様子を優しく見守っている情景が突如甦ってきた。
その石が、三重県那智地方で採掘される有名な黒玉砂利であることは既に知っている。私は黒石を洗い始めた。そして、どうして今まで洗わなかったのか、目にも留めなかったのであろうと不思議に感じた。手のひらのなかにすっぽり収まった石はまるで石鹸を撫でているかのように、または石に摩られているような気さえした。水に濡らすと、石はよりつややかな光を取り戻した。幼い手にははみ出してしまったことだろう。一つを洗うのに時間がかかったにちがいない。水道の水は冷たかったのだろう。私は思わず手をひらいてみた。
そして、ふと思った。なぜ、祖父は私に石を洗わせたのだろう。庭を愛していた祖父が石までも美しい表情のままにしておきたかったのだろうか。しかし、黒石は磨かなくても雨に打たれればまたきれいになるはずだ。
ゆっくりとひとつひとつを洗い撫でながら、私は気持ちが落ち着いていくのを感じていた。心がざわめくとき、音楽を聴いたり美しい絵を観に行くことで安らぐことは多々ある。それが耳でも目でもなく、この指先の感触が気持ちを落ち着かせてくれる、まるで黒石が気を放っているかのようなそんな思いにかられた。
祖父は石を洗うことで時間を追いかけるのではなく、時間を楽しむこと、そんな生き方を教えてくれたのではないだろうか。
明治、大正、昭和を生きた昔かたぎの祖父だったが、「・・・するように。・・・しなければいけない。」などと、一方的に命令や約束をさせたことはなかった。約束をしなくとも心は伝わると私を信じてくれたのだろうか。口髭をはやした祖父の笑顔が目に浮かんだ。
「約束せずとも心が伝わればよし。」
幼い私には理解できなかった。でも今になってやっと祖父の心を受け止めることができたような気がした。
那智の黒石は冬陽を浴びて、新しい光をまた放ち始めている。