2015年
第20回入賞作品
佳作
守れない約束 江角 岳志(53歳 自営業)
「ワァーイ!ワァーイ!ワァーイ!」
驚くほどのハイテンションで、息子が学校から帰ってきた。
「どうしたんだ、いったいなにがあったんだ?」
そうたずねても、しばらくの間、「ワァーイ!」「ワァーイ!」が続き、それから息子が唐突に「百万円ちょうだい」と、右の手のひらを上に向けて差し出した。
「百万円?」なにを言っているのか、まったくわからない。
息子は、ハハハというよりヒヒヒという感じで笑ってから「今日学校で身長を測ったら、175・5センチだったよ」と、背筋を伸ばすようにして言った
「とうとう超されたのか」感慨深く呟き、そして、「あっ!」と叫ぶ。
「さすがお父さん。思い出したんだね」
「ああ…」と、天井を仰ぐ。
「お父さんの身長を超したら、百万円くれる約束だよね」
あれは七、八年前、息子がまだ小学校三年生か四年生の頃だった。
それまでずっと小さいほうから数えて、学年で一番か二番だった息子に、「もし、お父さんの背よりも大きくなったら、百万円あげるからな」と、確かにそう口にした。
1500グラムの体重から人生をスタートさせ、脳性麻痺の障害も負っている息子が、ここまで大きくなるとは、予想だにしていなかった。
「あれはな、もしお父さんより大きくなったら、百万円あげてもいいくらい嬉しいということで……」さらに苦しい言い訳を重ね「子供が、大人になったら、お父さん、お母さんに何でも買ってあげると言うのと同じで……」
息子は無言のまま、もう一度右手を差し出すと「約束は約束だよね」と、目で言った。
翌日、寝不足の顔と頭で銀行へ行く。
窓口で銀行の帯封がされた一万円札百枚、百万円の札束を受け取る。
約束は約束だ。
「約束は守れ、嘘はつくな」と、常に言って育ててきたのだから、仕方ない。誤魔化すわけにはいかない。
車椅子を漕いで、汗だくになった息子が、学校から帰宅した。
テーブルに就かせ、目の前に百万円の札束を置くと、初めて目にする札束に目を白黒させる。
「これで約束は果たしたぞ」
昨日の「ワァーイ!」「ワァーイ!」を「ヤッター!」「ヤッター!」に変えて、ひと騒ぎしてから「なにに使ってもいいんだよね?」と念を押すように訊く。
「バカヤロー!ひとの気も知らないで」と、胸の内で毒づいてから、「大金なんだからな。大事に心して使えよ」と言って、とりあえず息子の、お年玉などを預金している銀行口座に、明日入金することにした。
昨夜は悩んで眠れず、今夜は誰が悪いというわけでもないのにむしゃくしゃして眠れなかった。二日続きの寝不足で、不機嫌さを隠そうともせずに、息子を学校へ送り出す。
洗濯物を干してから、息子の部屋に入ると、机の上に百万円の札束と、その横に『お父さんへ』で、はじまる手紙が置かれていた。
『お父さんへ この百万円は、お母さんが亡くなってから十五年間、ぼくたちを育ててくれたお父さんへ、感謝の気持ちを込めて贈ります。自分のものはなにも買わずに、色あせたものばかり着て……カッコいいんだから、もう少しおしゃれをしてください。あとは自転車でもバイクでも、お父さんが好きなものを買ってください。それ以外には、絶対に使っちゃだめだからね。これは次の約束だよ』
「こんな一方的な約束を守れるわけないだろう」と独り呟き、目頭を押さえた。