2015年
第20回入賞作品
優秀賞
四半分だけど…… 石井 泰子(70歳 主婦)
結城紬の産地には織り上げた紬を縦糸から切り離すとき、『七度たずねて鋏を入れよ』という約束事がある。
どんなに根を詰めても一日に50㎝織れるかどうかという織物だけに尺足らずの日にはお手上げだから念には念をということであろう。
私の母は桑絹村という、地名からして絹織物の産地らしい土地の出身で、嫁入り道具に機を持ってくるほどの紬織りの名手であった。
私が物心ついたころには母はいつでも機の上に居て、キーッ、チャンチャン!と賑やかな音を立てて紬を織っていた。
そして事あるごとに言った。
「四人も女の子を産んだのに誰ひとり後を継がないんだからやんなっちゃうよ。でも大変な仕事だから仕方ないね。せめても、嫁に出す時には一反づつ持たせようと思っているよ」
しかし、言葉とは裏腹に織り上がった結城紬は一晩も家に止まることなく問屋に買い取られ、家計の足しとなって消えていった。
そして、母はいつしかその計画を口にしなくなり私達四姉妹もそんな話は忘れ果て、三人の姉はさっさと結婚して家を出て行った。
機織りは腰と目を酷使するため、私の結婚が決まったころには体力は限界となり、機から降りる決心をした母は、生涯最後の紬を縦糸から切り離しながらしんみりと言った。
「娘達に一反づつ残してやりたいと頑張ったけど、生活の方に回って嘘つくことになっちゃった。最後の紬だけどお母さんが機織りしていた記念だから持って行きなさい。たまたま今まで家にいた娘に持たせるだけで、決して分け隔てしてる訳じゃないからね……」
受け取ってはみたものの、一反きり無い物を自分用に仕立てる気にもなれず、さりとて姉達の誰か一人に渡してしまうのも勿体なくて、取りあえずウコンの風呂敷に包んで和箪笥の隅に仕舞い込んだ。
結婚した当時も現在も、日常的に着物を着るような生活をしていないことも手伝って気にはしながらいつしかその存在を忘れた。
母は、九十六歳で天寿を全うした。
七七忌の後、私の家に四姉妹が集まって母の思い出話をしていた時、忘れていた記憶が戻るのと同時に妙案が浮かんだ。
私は和箪笥の置いてある部屋に飛び込んで黄色い風呂敷包みを取り出し、みんなの顔を見比べながらおもむろに結び目を解いた。
巻いたまんまの反物を見た瞬間、長姉が少し気色ばんだ目をして尖んがった声を立てた。
「これ、お母さんが織った結城紬でしょ。長女の私が貰ってない物を四女のあなたがどうして持ってるの?他の二人も貰ったの?」
次女、三女は激しくかぶりを振りながら、とんでもないという顔付きをした後、
「どうしてあなただけ貰ったのよ!」
と、異口同音に叫んだ。
私は「ほうら、来た来た!」と思いながらことさら静かに話し始めた。
「お姉さん達が結婚したころは織った紬は全部問屋に直行したの、覚えているでしょう。私が結婚するころになってやっと少し余裕ができて、織り納めの記念に貰ったというか預かったのよ。私は後始末が大変だからもう着物は着ないわ。誰か仕立てて代表で着る?」
案の定の答えが返って来た。
「腰が痛くて着物どころじゃないわ」とか「膝のお皿がすり減って歩くのがやっと」とか「結城に合う帯がない」とか、その他エトセトラ。
私はここぞとばかりに提案する。
「じゃ、恨みっこなしで四つに切ってテーブルランナーとして使わない?結城紬のテーブルランナーなんて超豪華で小洒落てると思わない?始終目にする所で使えばお母さんも喜ぶだろうし……」
私は母が七度たずねて鋏を入れた反物を躊躇いなく半分に、その又半分に鋏を入れた。ジョリジョリと小気味いい音がした。
「これで約束が守れたよ。四半分だけど……」という母の声を聞いたような気がした。