第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2014年
第19回入賞作品

中学・高校生特別賞

「ヤクソク」 水谷 真夏(17歳 学生)

 私はイーサン。韓国人なの。
 休み時間のチャイムが鳴ると同時にみんなが校庭に駆けて行き,教室で一人呆然としていた私に,声を掛けてくれたのは彼女だった。もっと沢山のことを話してくれたのだが,拙い英語力で私が理解できたことは名前と「韓国」という言葉だけだった。よろしく,と手を差し出して彼女は笑った。私は手を握って笑い返した。

 イーサンとの出会いは小学五年生の春,およそ7年前のことになる。父の仕事の都合で一年間アメリカに住むことになった私は,初めての海外で右も左も分からないまま現地の小学校に入れられた。新しい場所,知らない人々,飛び交う英語。そんな中で彼女の存在がどれだけ大きかったかは計り知れない。

 次の日からイーサンと私は何をするのも一緒だった。同じアパートに住んでいることも分かり,登下校も共にした。美術が得意で優しくて,少し恥ずかしがり屋だけれど自分をしっかり持っている女の子だった。すでに2年アメリカに住んでいた彼女は,英語ができない私のことを登校から下校まで付きっきりで助けてくれた。

 9月には隣の中学校へ入学し,その頃から私とイーサンは韓国語と日本語の教えあいを始めた。紙に英語で書いた文の下に,私は日本語を書いてローマ字で読み方を加え,イーサンは韓国語を書いて英語で読み方を加えた。韓国語と日本語には同じ発音の単語があることも知った。新聞,高速道路,計算。約束もその1つだった。

 約束は韓国語でもヤクソク。それを知ってから私たちは何かを約束するときは決まって最後に「ヤクソク」と付けるようになった。あいさつ,自己紹介,数字の読み方から始まった紙の上のレッスンはそのうち手紙交換に変わっていった。私は自分の書いた韓国語分かってもらえることが想像以上に嬉しくて,インターネットの翻訳機能を使って,四角と丸と棒を組み合わせたパズルみたいなハングルを一生懸命写した。手紙交換は私が帰国するまで続いた。

 わたしの学校最後日に,イーサンは日本語の手紙をくれた。
 このご恩は一生涯決して忘れません。また会いましょう。約束。
 翻訳機の少し不自然な日本語の手紙は,こう締めくくられていた。また,の「ま」の最後が,がたがた揺れて,逆方向に曲がっていた。

 それから5年間私たちは全く別の人生を歩んだ。私は日本の小中学校を卒業し,高校生になった。イーサンは私の1年後に帰国し,韓国の中学校に通ってからまたアメリカに戻って高校に入学した。最初は頻繁に連絡をとりあっていたものの,次第に毎年お互いの誕生日を祝うだけになっていた。たまにあの言語を教え合った紙を引き出しから出して思い出すたびに,小さく織り込まれた紙がくしゃくしゃで黄ばんで見える気がして少し悲しくなった。

 アメリカから帰国して5年目の高校1年の夏休みに,前に住んでいた時の知り合いの家に遊びに行くことになった。私は真っ先にイーサンに連絡した。私は5年ぶりにイーサンと会うことができた。「ヤクソク」がかなったのだ。5年ぶりの再会なのに,イーサンは昨日も学校で会っていたかのように話し始めた。彼女なりの照れ隠しだ。

 あーあのときさあ。覚えてる?

 そう言いながら私たちはかつて通っていた中学校の前に座って,前より少し上手くなった英語で,思い出話に花を咲かせた。残念ながら一緒に入れたのは数時間だけだったが,また会おうね,ヤクソク。と別れ際に私たちは2回目の約束を交わした。それ以上は言わない,涙も流さない。あのときのイーサンのままだ。

 私たちは今また別々の道を歩いている。あの紙は引き出しの中にあってやっぱり開くたびに黄ばんで古く見えるけれど,逆方向に曲がった「ま」は何年たってもそのままだ。

 また会おうね。ヤクソク。

 1年後,5年後,10年後かもしれない。アメリカ,韓国,日本,いや,全く違う場所なのかもしれない。でもこの言葉があるから,私たちはまたいつか会えるのだと思う。