第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2014年
第19回入賞作品

佳作

「約束を胸にゴールまで全力で」 秋山 等(48歳 教諭)

 四〇を二つばかり過ぎて父親になった。わが子が幼稚園に通うようになったのは昨年の春。毎朝、ママと離れるのがいやで、ひとしきり泣きはらしてから登園していたけれど、いろんなことを経験することで確実にたくましくなっていった。年が改まった二月、マラソン大会が実施された。マラソンといっても園の周りを二周する程度。距離にして六〇〇m弱。父親譲りの健脚で、練習では常に先頭集団の一角を担い、一ケタ順位でゴールする。帰宅するとすぐに練習の様子をその日の順位とともに聞かせてくれる。どうせやるならと、日曜日には寒風吹きすさぶ中、江戸川の土手で練習に励んだ。子供はペース配分など知らない。勢いよく飛び出て、半ば過ぎにはペースダウン、ぜいぜい言いながらゴールする。まずはペースを覚えることだっ。練習の成果はすぐに現れ、直前の練習では、とうとう四位になった。メダル圏内にあと一歩となったその日、わが子が向上心を口にした。「メダルを取りたい。」「よしっ、狙えっ!」と私が意気込むと、今度は「でも、だめだったらどうしよう。」不安そうな表情と一緒にそんな言葉も口を突いて出た。「ゴールするまであきらめず走るんだっ。」息子を見つめる目に、力強さを意図的に込めて、そんな言葉を返した。マラソン大会当日。残念ながら私は仕事。家内の記憶と記録に任せる。一学年一五〇人にもなる大きな幼稚園。練習段階で上位層を形成していた子供たちが最前線に並べられた。わが子もそこにいる。園長先生の威勢の良い掛け声とともに、一斉にスタート。いけぇー! 園の門を出て、左に曲がるところでカメラを構えていたママの目に疾走するわが子が飛び込んでくる……はず? ん? ……だった。なかなか出てこない。どうしたんだ、えもいわれぬ不安が支配し始めたころ、右膝、右肘を血で染めて泣きながら走るわが子が視界に入ってきた。血を流しているのは手足だけではなかった。なんと顔からも。眉のあたりもしっかりすりむけ、鼻血で体操着にも転々と血の水玉模様ができている。ここまで条件がそろうとさすがにもう何が起こったは容易に把握できるものだ。けがの具合を見ると、どうやら右半身から地面に落ちたらしい。しかも勢い余って顔も強打したっぽい。次々と後続にも踏まれ、土と血にまみれたわが子は大きな声を上げて泣き出した。しゃがみこみ、泣くことしかできないでいるわが子に担任の先生や他の保護者の方から声援が飛ぶ。がんばれっ! 何を考えたんだろう。思い立ったように起き上がり、一番後から、ものすごい勢いで再び走り始めた。もうペース配分など関係ない。心配顔のママなど目もくれず、全力で走り抜けた。午後、ドキドキしながら電話連絡を入れる。「どうだった?」「二十五位だったよ。」「……。」一瞬、耳を疑った。そして、がっかりした。返す言葉もなく黙っている私に、家内はスタート直後の様子やわき目もふらずゴールを駆け抜ける姿を話してくれた。ようやく状況を飲み込むことができた。「帰ったらほめてあげてね。パパにほめられるのが一番うれしいはずだから。」帰宅するなり、玄関口にわが子が走り出てきた。そして、肩の幅よりもやや広めに足を開いて立ち、すりむいた顔に満面の笑顔をたたえ、順位を示すカードを見せてくる。数字が隠れないように両手で紙の両端をつかみ、胸の前でカードを示し、それを私に見せようと前に押し出す。二十五と書かれたカードは、自分が望んでいた数字ではなかったはずなのに、その顔は誇らしげで実に得意気だった。あっちこっち傷だらけのくせに。「転んじゃって、泣いちゃったけど、最後まで一生懸命走ったよ。パパと約束したもんねっ。」順位を聞いて一瞬、がっかりした自分を私はきつく責める必要があった。最後方から前だけを見据え、涙をぬぐうこともなく、けがの痛みも忘れ、あきらめるずに走りきったわが子に敬意を払い、力一杯抱きしめた。