第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2013年
第18回入賞作品

佳作

「縄跳び」 宮本 俊一(32歳 会社員)

 縄跳びのできる男子は、ちょっとしたヒーローだった。小学二年生の時である。当時、私の学校は空前の縄跳びブームだった。近所の駄菓子屋や文房具店には、カラフルなビニール製の縄跳びが並んだ。二重跳びはもちろん、はやぶさ跳び、駆け足跳びなど、男子は休み時間になると校庭に飛び出し、技や回数を競い合った。縄跳びが上手な男子は、女子からも人気があった。
 私のクラスの担任は、大学を卒業したばかりで二十三歳の女性の先生だった。熱心な先生で、学級通信を自分で作って、毎週のように配った。その学級通信で、二、三か月に一度、縄跳びの成績優秀者が掲載される号があった。技の部門ごとに、飛べた回数の順に「ベスト5」が発表される。例えば、二重跳び部門、五十回で一位はA君という具合に。
 先生はその学級通信を出す前、「縄跳びカード」という用紙を配り、どの技が何回飛べるようになったかを各自で記入させ、提出させていた。このカードをもとに、「ベスト5」を発表していた。
 十二月のことだった。例によって縄跳びカードが配られた。クラスメイトが回数を書き込んでいる。みんなまだ七歳か八歳である。そう、これは完全な自己申告で、言わぱ、性善説に立ったカードなのだ。そんな中で、私にふと、善からぬ考えが浮かんだ。「誰も気付かない。多めに書いちゃえ」。ヒーローになりたかった。私は、できもしない回数を書き込んだ。次の学級通信が配られると、私の名前が全部門にランクインしていた。優越感などなく、後ろめたさだけが残った。
 当然、こんな嘘はすぐにばれた。学級通信を読んだ母から、「あんた、こんなに縄跳びできた?」と追及され、あっけなく白状した。父の耳にも入り、ひどく怒られた。母は先生に電話し、私はその翌日、先生に事情を話し、謝った。先生の悲しそうな顔は今でもよく覚えている。
 しかし、父の怒りはこれで収まらなかった。冬休みに入ってすぐ、「お前が嘘をついて書いた回数を、実際にすべて飛べるようになるまで、冬休みを利用して練習しろ」と言われた。父の目が光る中、特訓が始まった。冬の縄跳びの失敗はとにかく痛い。凍える中、何回も、顔面に縄が当たった。大晦日も元旦も関係なく、練習は毎日続いた。
 やがて冬休みが終わる頃、私は何とか実際に飛べるようになった。嘘をついたことに対する後ろめたさから、ようやく解放された気がした。新学期が始まり、私は先生に、この冬休みでの出来事をこっそり伝えた。
 そして、三月。二年生が終わる最後の日。終業式の直前、先生がおもむろに私に近づき、手のひらほどの小さい封筒を一枚手渡してきた。他の児童の目を気にしたのか、何も言わず、そのまま私から離れた。私は家に帰った後、封筒の中身を確認した。中には一通の手紙が入っており、こう書かれていた。
 「冬休みの縄跳びの練習を聞いて、先生はとても感動しました。よく頑張りましたね。そして、いい経験をしましたね。例え他の人が気付かない嘘でも、自分自身は知っています。これから大きくなっても、自分に嘘をついたらだめです。先生と約束してね」
 あれから二十四年がたった。私は朝の出勤途中、近所の小学校に通うちょうど二年生ぐらいの子どものたち五人組とすれ違うことがある。その子どもたちを見る度に、先生がくれたあの手紙を思い出す。私は先生との約束を守れているだろうか。
 社会人として組織で働いていると、自分を偽らざるを得ないことも少なくない。それでも、今は精いっぱいやるだけだ。あの冬の縄跳びの特訓のように、いつからだって人生はやり直せると信じて。