2011年
第16回入賞作品
審査員特別賞
「父」 鶴谷 美智子(48歳 主婦)
私の父は、お人よしでいつも周りにいい様に
利用されて、損ばかりしているように見えた。
その事でいつも母に叱られて頼りない感じ。
ある日、父が下着姿で裸足で帰宅した。
仕事仲間の中国人が家族とともに帰国
するので持金全部と着ていた衣服だけでなく
靴も全部無理やり渡して帰宅した。
案の定、母は激怒して怒りは収まらない。
でも父は普通の顔をして
「俺は働いたらお金は入ってくるけど、国に帰る
奴らはどうなるかわからない。他の仕事仲間は
もう二度と会えない人に贈り物はしない。
明日もわからない友人の幸せを願って
だからこそ俺が出来る事で見送ってやったんだ」
・・・こんな事が何度かあった。相手は中国人だったり
北朝鮮の人だったり
彼らから帰国後連絡は無い。
父は見返りを求めない人だった。
そして私の前ではいつも母に叱られていた。
定時に帰宅する父の帰りが遅い日があった。
6時には帰宅する父の帰りは10時をはるかに超えていった。
母は激怒し、父は晩御飯抜きとなった。
父の葬儀の日、老夫婦が母にお礼を言った。
体調を崩したご主人に付き添って道沿いでタクシーを
待っていたが、寒さで凍えていたとき、通りかかった父が車で救急病院まで送り、治療が終わるまで奥さんと一緒に待っていてその後自宅に送り届けたそうだと・・。
母はいつも、父の行いを、後になって気づく。
無口な父は、「男は黙ってサッポロビール」が口癖だった。
私は今人の値打ちをお金の価値でしか判断しない
人達と多く出会う。
私は父に似て、八つ当たりをされることの多い人生を
歩んでいる。
気弱な人まで私の前では強気になって
ちょっと嫌な気持ちになる。
父は幸せだったのだろうかと・・考えることがあった。
3人兄弟の私は、父側の人間で
兄と妹は母側の人間・・・母の口調を真似ていつも
馬鹿にされていたような嫌な感じだった。
父に相談しても「気にするな。ほっとけ。」言い切られて
二人で家を抜けだし
喫茶店でミックスジュースを飲み避難していた。
本当に弱い親子であった。
父は亡くなるとき、私に母を託した。
「母はとても優しい人だったけれど
自分のようないい加減な人間と結婚して
苦労ばかりかけてしまったから
ヒステリーになったんだと・・。
お前のお母さんは意地悪ではなくて
性根の優しい人だと。。」
疑問を持ちながらも
父との約束どおり、母の側にいるけれど
東京の兄や名古屋の妹の前で気丈に振舞う母は
私の前では愚痴ばかりで、子育てよりも大変な気がする。
虐められていたような私に、一番言いやすいのか
母は私が父にそっくりだと言う。
父は無口で母の病院に付き添い。何処にでも
連れて行ってくれたと。
私は無口ではなく愚痴ばかり出るけれど、母に対して
父と同じ行動をしている。
亡くなって13年が経ったけれど
父は母を見守っているような気がする。
仏壇に毎日謝っている母だけど
生身の父が現れたら、相変わらず
怒鳴りつけながら生き生きとした母になるんだろう。
弱いと思っていた父の偉大さが身にしみて
誇りに感じる。