第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2011年
第16回入賞作品

佳作

「畠山さんのA4問題」 増田 芳宏(44歳 会社員)

 人に何かを正確に伝えることはとても難しいものです。
 僕が勤めている会社での話です。ある日、夕方から会議があり、お茶の準備を一般事務職の森川さんにお願いすることにしました。会議終了はおそらく終業時刻を過ぎてしまうため、後片付けが簡単なペットボトルを用意してもらおうと思いました。
「森川さん、これから会議があるのでペットボトルのお茶を15人分準備してくれる?」
 そして、近くのお店で買ってきてくれるよう依頼しました。財布には千円札がなかったため一万円札を渡しました。結果的にはこれが悲劇の一因になってしまいます。
 会議開始30分ほど前だったでしょうか。準備状況が気になった僕は会議室に行ってみることにしました。するとそこには、どんと鎮座する一本の2ℓボトルがあったのです。僕はすぐに森川さんを呼びました。
「ひとりずつペットボトルを配りたいので人数分買ってきて!」
これで大丈夫だと思いました。
 ところが次に会議室に行った時、そこに壮大な光景を目の当たりにすることになりました。想像してみてください、ロの字型に並べたテーブルの上に2ℓのペットボトルが15本そびえ立つパノラマ画像を。僕はすぐに森川さんを呼びました。
「森川さん、あなたは1時間の会議で2ℓも飲めますか?」
すると森川さんは、
「そんなに飲める訳ないでしょ。」
それは、1点の曇りもない明快な回答でした。
森川さんの感覚がおかしいのでしょうか。いいえ僕はこう考えました。森川さんはペットボトルと聞くとまず2ℓボトルが頭に浮かぶだけだと。
「ひとりずつペットボトルを配りたいので人数分買ってきて!500mℓのものをね!」
こう言えば良かった。

 また、こんなこともありました。
今度は畠山さんの話です。ある日、お客様から財務データ資料が送られてきました。それは数字がいっぱい詰まった細かい資料です。大きさがA3だったので、ファイルし易いように小さくしたいと思いました。
「畠山さん、この資料をA4に縮小してくれる?」
簡単な作業だと思いました。しかし、
「課長、出来ました。」
戻ってきた資料を見て、僕は愕然とします。それは、紙はA3のまま内容がA4に縮小されたものだったからです。
「畠山さん、いや、こうじゃなくてね。紙自体をA4にしてほしいんだ。」
「なんだそうなんですか、課長。わかりました。」
 元気良く再びコピー機に向かう彼女の後姿を見て、今度は大丈夫だと思いました。
 ところが、トイレから戻った僕は机の上に置かれた世にも奇怪な資料に度肝を抜かれます。確かに、今度の資料はA4になっていました。でも、先ほど失敗した資料、内容はA4ながら大きさはA3のままだった資料をさらにA4に縮小したものだったのです。小さな文字や線やらがA4用紙の真ん中で肩寄せ合っていました。僕はすぐに畠山さんを呼びました。
「ねぇ、畠山さん。これって読める?」
畠山さんは、ずれ落ちそうな眼鏡を押さえながら、
「いいえ、見えないですね。」
こちらも明快な回答が返ってきました。

 他人との間で何か行き違いや誤解があった場合に、僕はまず自分に非がないかどうか点検することにしています。この畠山さんのA4問題は、初めて出会う宇宙人に左右を説明するという難問ではなく、だから解決のために素粒子物理学を持ち出すまでもなく、必要なのは理解してもらうためのちょっとした丁寧さなのでしょう。
「A4でファイルするから。」
 最初にこう付け加えるだけでうまくいったと思う。

 僕の机の引き出しには、畠山さんの失敗作がまだ大切に保管してあります。相手が理解できるよう伝えることとたとえ誤解が生じても決して相手のせいにしないこと、これは僕が僕自身で決めた大切な約束事となっています。ダイバーシティへの理解と寛容はこういうところから始めることができます、ちょっと大げさだけれども。