2011年
第16回入賞作品
佳作
「二人のお嫁さん」 新居 洋平(24歳 団体職員)
祖父が二度目の結婚を果たした。御年七十八歳。お相手の和子さんとは二十歳の年の差婚で、結婚の知らせは親戚一同を仰天させた。祖父のボランティア仲間であった和子さんは、唯一の肉親であるお姉さんを亡くして以来、形見の北欧家具に囲まれながら一人たくましく生きてきた。淑女という言葉のよく似合う女性だ。新婚の二人は、荒川を望むマンションの一室に居を定め、あれよあれよという間に引越しを済ませてしまった。元来フットワークの軽い祖父ではあったが、あまりの展開の速さに唖然とする我々をよそに、「今年は平均寿命を超えてしまうからね。もたもたしている時間もないので!」と、溌剌とした声で返してきた。
祖父の最初の結婚相手(つまり私の祖母)の名は貞子さんという。かつて、宝塚の女優のようだと周囲に言わしめた長身と、澄んだ歌声をもつ彼女に、祖父は何度もアプローチをかけたそうだ。七人兄弟の長女だったから、両親に負担はかけられないと見合い話はすべて断ってきた祖母であったが、祖父の熱意に折れついには婚約を認めた。そんな経緯での結婚だったからかもしれない。妻に迷惑をかけまいと、戦後の激動期の中を祖父は懸命に働いた。結婚して間もなくのこと、幼子二人を抱えながら、小さな社宅でひもじい思いをさせてしまったと、当時の心残りをよくこぼしていた。
祖母が亡くなったのは七年前のこと。二年間に及ぶ闘病生活の末、祖母の身体は癌細胞に蝕まれ、消えていった。祖母自身は自らの死を受け入れていたらしい。痛みを伴う延命は不要であるとしきりに訴えていた。片や妻の死をなかなか認めることができなかった祖父は、あらゆる伝手を頼って病院探しに奔走し、体重を六キロ落とした。そんな祖父も、想像を絶する痛みに耐える妻を見て、静かな決意とともに妻をホスピスへ移した。
迫りくる死を待ちながら、祖父と祖母は時間の許す限り語り合った。葬式には誰を呼ぼうか、どんな音楽を流そうか。しかし祖母が何より心配したのは、これから一人残されることになる祖父のことだった。そして祖母は一つの約束を残した。「私が死んだら早くいいお嫁さんを見つけてくださいね。あなた一人では洗濯だってできないのだから。」
結婚式は挙げないと言い張る祖父と和子さんを後目に、長男一家と長女一家が集まり、サプライズパーティーを開いた。参列者十名の、手作りのウェディングだ。牧師に扮した父が宣誓を読み上げ、冗談みたいな玩具の指輪を交換してもらった。照れ気味の祖父は、「誓います!」と、甲子園球児のような大声で調子外れの誓いを立て、それを見た和子さんは恥ずかしそうにベールで顔を隠していた。「おばあちゃんが亡くなって七年、こんなに生きるつもりはなかった。これも、もっと生きなさいという貞子さんからのメッセージだと思って、腹を決めて楽しくやっていきます」と、高齢の新郎は挨拶を述べた。
あの日、ホスピスの一室で交わされた約束は、七年経ってようやく叶えられた。祖母は鎌倉の海がよく見えるお寺に眠っているが、これが和子さんのお姉さんの遺骨を散骨した葉山の海と偶然近いため、この二ヶ所を回ることが二人の習慣となっている。