2010年
第15回入賞作品
中学・高校生特別賞
「手と手の絆」 斉藤 さおり(17歳 千葉国際高等学校2年)
もうすぐ十二月、寒い寒い冬がすぐそこまでやってきている。私の手は今年も赤くふくれ、手のひらも荒れてくるだろう。辛く悲しい日々の始まりだ。
今の私の手はまだきれいな方だ。人前に出しても恥ずかしくない。しかし、ひとたびしもやけになると、それはもうかゆくてかゆくてイライラしてくる。そして手袋をしている時はいいが、素手で友達などにプリントや何かを渡す時は本当に恥ずかしい。そんな風に毎年毎年荒れている私の手を母はもみほぐし、薬をつけてマッサージをしてくれる。そんな時いつも冬もきれいな手であってほしいと、母は願っていた。
私は今まで二本の手で何をしてきただろうか。たくさんの人と手をつないだり、握手をしたりした。食事や歯みがきといった日常生活をこなした。じゃんけんやあやとりなど、たくさんの遊びをした。文字を書いたり、楽器を演奏したりもした。そして誰かがけがをしたり、具合が悪くなった時は私の手でさすってあげたり薬をつけたりする。そんな時、手は顔と同じように相手に私の印象を与えてしまう。相手に不快な思いはしてほしくない。私はいつもつめを切り、自分でできる『きれいな手』を心がけてきた。それは、私と母との約束でもあった。
私は幼い頃から冬になるとしもやけとひびに悩まされ、痛がゆく、我慢できなくなりぐずっては母に薬をつけてもらい、さすりながらマッサージをしてもらってきた。そんな時母はいつも私に話してくれた事がある。
「手と手をつなぐと暖かく、ホッとするね。そして握手をする時、自然と相手の顔を見るよね。手は相手に、自分の心の扉を開くのかなあ。それから手を使って傷や痛い部分を治す『手当て』という言葉。薬や救急箱の用品なども使うけど、手当をしてくれるだけでもよくなったり治ってきたりする気持ちになるんだよね。手って不思議だね。でもその手がカサカサでは、自分も手を出したり何かをするのが辛いね。」
とよく言っていた。母も幼い頃から冬の手荒れにはかなりの苦労があったようだ。母が小学生の頃一日の終わりのそうじはぞうきんがけがあり、バケツの中の水でぞうきんをゆすぐのは辛かったと言う。書き初めの時、筆を持つのも大変だったらしい。大人になって、しもやけはだんだん良くなってきたが、手荒れはまだあるようだ。
そんな母から私は何度手をさすってもらい、手を握ってもらっただろうか。よく冬の母の手は荒れているので、私が小さい頃
「お母さんの手は、ガサガサしていて痛いから、もっとやわらかくして。」
と母に言っていたらしい。母は手から伝わる温もりや暖かさ、そして相手を思いやる優しさを大切にしてほしいと思い続けていたそうだ。
私には姉がいる。介護の仕事をしているが、手は言葉と同じくらい大切だとよく言っている。一つ一つの手の仕草、行動が人への、相手への優しさであり、思いやりである。そんな大切な役割を果たしている人の両手。それはいつもきれいでありたいし、きれいにしておきたいと思う。好きな人には優しい手で接したい。自分の気持ちが写し出される、この二本の手をとてもいとおしく思う。
ふと、母の手を見てみたくなった。今の母の手は、ガサガサでしわしわだ。年をとったせいもあるだろうが、手でいろいろな経験をし、体験を重ねてきたのだろう。母がいろいろな人と接し、気持ちを交わしてきたのだ。そんな母の歩んできた証なのかもしれない。そんな母の手を見ていると、今度は私が母になったときに私から教えられた手への思いやりを話してあげたいと思うようになった。そしてもっともっと年をとってきたら、今度は私が母の手に優しくハンドクリームを塗り、マッサージをしてあげたいと思う。