2008年
第13回入賞作品
佳作
「永久レンタル」 松川 千鶴子(53歳 女性)
昨秋、娘が新郎となる彼を伴い、結婚式を挙げるため滞在中のドイツから三年ぶりに帰国した。文金高島田の花嫁ならず、紋付羽織袴に憧れるドイツ人の彼の強い要望だった。年を越し、今春、本国でも式を挙げるのだが、どうしても日本で式を挙げたい。そして何よりも、私たちにきちんと挨拶したいと彼が言った。式は二回とも身内だけのささやかなものだから、さほど費用は掛からない。「普通の挙式の一回分よりも安いし、帰国は新婚旅行みたいなもんだから。」と、娘は幸せそうに、打掛けを選びながら笑って言った。
娘は大学の交換留学でドイツに一年留学。その大学で日本学科を学び、日本が大好きな彼と知り合った。最初、恋人が出来たと知らされた時は、心配で夜も眠れなかった。特に男親である夫は、「きっと、口の上手い外国人に騙されてるんや。留学なんか行かすんやなかった。」と、毎日愚痴った。「お前が、行かしたったらええとか言うたからや。」と、私にまで当たる始末。そんな心配をよそに、娘は、「添付メール送りまーす。」と、彼の写真を送信。開けると、何と、髭面男。夫の心配は頂点に達した。「何や、これ。こんな男に騙されよってからに。呼び戻せ。」と、怒り出した。「そんな事言うたかて…。」と、私たちも夫婦喧嘩が絶えなくなった。
そんなある日、娘から電話が掛かってきた。彼が自己紹介と挨拶をした。日本語が上手で、誠実そうな青年に思われた。夫も一応電話口に出た。しかし、「あー、あー。」と言いながら憮然としていた。良い青年そうねと言う私に、「会うてみんと、分からん。」と、疑っている。その後、半年ほどして、相手方の家との交流も始まり、徐々に、その疑いも薄れていった。だが、娘を想う男親の気持は複雑らしく、とにかく、気に入らない。
娘は留学を終了し、帰国。その後一年、単位を必死で取り無事卒業。就職もドイツで見つけており、その翌月に慌ただしく渡独した。ところが、それから五ヵ月後の九月、突然、二人が結婚の許しを請うためにやってくると連絡があった。私たちは空港に迎えに行き、初めて彼と会った。顔半分を占めていた髭がきれいさっぱり剃られており、思っていた以上に男前で夫と二人して驚いた。夫は私に、「あの二人は、ぴったりお似合いや。」と、ひそひそ耳打ちした。
うん? やっと、疑いが晴れたようだ。
その夜、彼は、今までにした事の無い正座をして、「オジョウサン ヲ ボクニクダサイ。 シアワセニ シマス。 ヤクソクシマス。」娘から教わった台詞を、一生懸命誠意を込めて言った。
「……。」夫は黙っている。
娘と彼、そして私の三人は、夫の返事を固唾を呑んで待った。私に、あの二人はお似合いだと言っていたくせに、イザとなったらダンマリかと、私は心の中で思っていた。暫くして、夫が口を開いた。
「娘は、やらん。」
エッ!? 私たち三人の顔がいっぺんに曇った。このヘンコツ親父め。
「返却期限無しの永久レンタルや。期間中、約束厳守!」
予想もしてなかった言葉が夫の口から続けて発せられた。一瞬その意味が分からず、三人とも顔を見合わせた。
「これは、別に外国人やから言うてるんやない。日本人でも同じ事を言うつもりやった。父親にとって娘は、いつまで経っても娘や。俺の宝や。」
私はその言葉に胸打たれ、「その通りや。母親にとっても同じや。お父ちゃんは、ええ事言うた。」と付け加え、泣いてしまった。娘も声を上げて泣き出した。彼は、「アリガトウゴザイマス。ヤクソク マモリマス。」と、喜びながら優しく娘の震える背中を撫でた。
それから三年、婚礼写真に納まった二人を夫と一緒に眺めながら、私はその時の事を懐かしく思い出し、また少し涙してしまった。