第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2007年
第12回入賞作品

佳作

「たった五分のドッジボール」 米田 崇(58歳 男性)

 「学校というところは、先生が子どもに勉強やいろんなことを教えるところです。でも先生が子どもたちから大切なことを教わることもあるのですよ。」

 小学校の校長である私は全校児童を前にして話を続けました。

 「この中に、一年前、私にすばらしいことを教えてくれた児童がいます。話を聴いた後で、もしも自分のことだと思い当たる人がいたら、後で校長室に来てください。ぜひ、お礼がいいたいです。待っていますよ。あれはちょうど一年前の今頃でした。・・・・・」

 それはこんな出来事でした。

 私は子どもが大好きで、五年前に民間企業を退職して小学校の校長になった、いわゆる、「民間人校長」です。休み時間を子どもたちに校長室を開放して、たくさん楽しい話を聞かせてもらっています。

 秋も深まる十一月のある日、その男の子は二時限目が終わり、休み時間に校長室を訪れて、約十分間楽しく話をしてくれました。そして教室に帰る時に笑顔で言いました。

 「校長先生、お昼休みにドッジボールをしてください。」

 「ああ、いいよ。楽しみだね」という私の返事に微笑んで教室に戻りました。

 その日は急ぐ仕事もなく、私もその子のクラスのみんなとのドッジボールを楽しみにしていました。

 ところが昼前に突然、あるところから電話が鳴りました。

 「校長先生、今からFAXをします。その件について午後二時までに調査、報告をお願いします。急なお願いで申し訳ありません。」

 「二時か。難しいな。」と思いました。すぐに作業にとりかかり給食も食べずにがんばりました。子どもたちは給食を終え、掃除も終わり、いよいよ昼休みです。

 校長室は二階にあり、窓から運動場を見渡せます。その子はクラスメートたちと楽しそうにドッジボールを始めていました。昼休みは二十分間です。五分過ぎ、十分過ぎ、どんどん時間がなくなっていきます。

 仕事は思うようにはかどりません。窓からは子どもたちの歓声が私をせきたてるように聞こえてきます。運動場に目をやると、その子たちは元気に遊んでいます。

 「もういいか、急に仕事が入ったんだから」

 「いや、約束したんだから行かなくては」

 「大丈夫だ、楽しそうに遊んでいるから」

 悪魔の声と天使の声が、波のように私の心に打ち寄せては引いていきます。

 その時です。目の前に浮かんだのは、約束した時のあの子のうれしそうな微笑でした。「行こう!」そう決心して急いで校長室から運動場まで走りました。昼休みはあと五分間残っていました。五分間だけドッジボールを楽しみました。休憩終了のチャイムがなりました。その時、彼が私のほうに全速力でかけ寄ってきて、そして言いました。

 「校長先生、約束守ってくれてありがとう」

 胸を突き刺すような言葉でした。たった五分しか遊べなかったのに…でも本当に運動場に行って約束を守ってよかった。そう考えると突き刺された胸が感動に震えました。

 私は何も言えずその子の肩を抱いていっしょに教室まで帰りました。約束を守ることの大切さを小学生に教わりました。

 全校集会が終わったあと、彼は校長室に来ませんでした。一年前のことなので忘れてしまったのかなと思っていました。

 数日後、母親が校長室を訪れて、全校集会の日の息子の言葉を伝えてくれました。

 「校長先生が僕の話をしてくれた。でも恥ずかしかったから校長室には行けなかった。」

 私は母親にお礼を言うとすぐに、彼の教室に行きました。また、何も言えずにその子の肩を抱きしめました。「ありがとう」と心でつぶやきながら。