第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2007年
第12回入賞作品

佳作

「約束のいたみ」 檜垣 一美(39歳 女性)

 親としての約束には、ほろにがい思い出がある。次男が6才のときのことだった。保育園最後の親子遠足で遊園地に行くことを、彼は一ヶ月以上前からとても楽しみにしていた。「おべんとうはおにぎりにしてね」とか「バスはぼくの隣に乗ってね」と言って、必ずそのあとに「やくそくやけね。」と付け加えるのだ。5人兄弟の真ん中。兄も姉も弟も妹もいる彼の口癖はこの「やくそくやけね」という言葉だった。どんな小さなことでも約束という言葉で固めてしまいたかったのだろうか。そんなにいつも自分の望み通りにならないことばかりだと思っているのだろうか。と心配になるくらい、約束という言葉にこだわる子だった。

 遠足は春先のまだ寒い日だったので、下の子たちは私の母に預けて二人で行くつもりだった。そのことを次男に告げたとき、「本当にぼくとおかあさんだけ?やったー」と言って「やくそくやけね」と言う彼に「うん、約束ね」と安易に約束をしてしまった。

 ところが、遠足の前日になって1才だった娘が熱をだしたのだ。病院につれていっても熱はすぐには下がらない。夕方になって次男を保育園に迎えに行くと、目をキラキラさせて遠足の計画を話してくれ、とても「行けないかもしれない」という話をできる状況ではなかった。ついつい明日まで待ってみようかなと思い、その夜はなにも言わずに次男と遠足の話をしていた。

 遠足の当日は、今にも雨が降りそうな肌寒い朝だった。娘の熱は下がらず、熱のある子を母に預けて遠足に行くわけにもいかず、かといって親子遠足に一人で行かせるわけにもいかなかった。

 いつもは朝寝坊の次男が起きてきて「まだおにぎり作らんのー」と聞かれ、言葉につまってしまった。「あーちゃんのね、お熱が下がらんかったんよね。ごめんけど、遠足いかれんみたい」―そう伝えたとたん、見開いた大きな目に大粒の涙が浮かんでぽろぽろと落ちだした。

 「おかあさん約束したもん。いやだ行く。」そう言うのが精一杯だった。「ごめんね。かわりにおうちで遠足しよう。」そう言ってもなかなか聞き入れてくれない。

 「約束したもん」その言葉が何度も何度も彼の口からでてくる。安易な約束をした自分を責めてもどうしようもないが、私も泣きたいくらいつらかった。

 すると突然、私のどうしようもない想いに気づいてくれたのか「わかった。おうちで遠足する。」と泣きながら言ってくれたのだった。

 決めてしまうとわりあいさっぱりしていて、その日は家でお弁当を食べ、機嫌よくすごしてくれた。

 翌日も保育園につくと友達に「昨日どうやった?」と聞くくらい余裕があり、ほっとしたものだった。

 帰りに迎えに行ったときも、「みんなは遠足の絵を描いたから僕は想像で動物を描いたんよ。」と話してくれた。

 けれども車に乗って家の駐車場についたとき、ふと後ろを見ると、目に涙をいっぱいためて窓の外を眺めている次男の姿があった。「どうしたの?」と聞くと小さな声で「おかあさん、ぼくも、保育園最後の、遠足、みんなと行きたかった・・・」とつぶやいたのだった。「みんなと、いろんなことして、遊ぶやくそくしとったのに。」と。

 前日から決して誰のことも責めず、自分の中で消化してしまっていた彼の、たった一言だった。

 こんなに行きたい気持ちを押し殺して、私の困った思いを昨日は受け止めてがまんしてくれたんだなぁと、胸がしめつけられそうなくらいズキズキした。

 今4年生の彼にそのときのことを聞くと「ああ、行きたかったよ。でもしょうがないやん。俺一人で行けたわけもないし。お母さんが困っとったもんね」とわりあいさっぱりと答えてくれた。あんなに小さな頃からそんな風に気遣ってくれていたんだなぁと少しうれしくもあり、せつなくもあり。

 そんな彼も、いつの頃からか「約束よ」としつこく念押しをすることもなくなった。

 今でも、あのときの次男の気持ちを思うと胸の奥が痛くなる。そしてそれと同時に、彼の優しい気持ちで心の中が暖かくもなる。