2007年
第12回入賞作品
佳作
「母の虎の巻」 漆原 正雄(22歳 男性)
僕が小学校四年生の頃に母は、交通事故という突発的な不運に巻き込まれ命を絶った。参観日が来るのが楽しみだった、運動会や遠足の日にはどの弁当よりも誇らしかった、お父さんがいなくても「家庭」というものを知っていた、そんな思い出を置き去りにして、母はこの世界から旅立ってしまったのだ。
生前、母が口癖のように言っていた言葉が、「約束」だった。僕が何か誤ったことをするたびに、母との「約束」が一つ増えた。叱られるよりも、二度としないと約束させられて指きりげんまんに持ち込まれた。怒られると反発もできるのだが、そうこられると言い返す言葉が見当たらなかった。父のいないことをからかわれてカッとなった僕が教室で暴れた日も、母に、優しい表情と声音で「もう喧嘩しちゃだめよ」「約束できる?」と何度も言い聞かせられた。その日だけは、僕は母の指きりに応えられなかった。悪いのは悪口を言ったクラスメートだ。なのに、どうして自分が反省しなければならないのか、分からなかった。
数日後、またそのクラスメートと喧嘩をした。僕の怒りまかせの体当たりで、廊下の壁に突き飛ばされた相手の額は割れ、床に血の染みを作るほどの災難を招いてしまった。クラスメートはすぐに保健室へ連れていかれ、治療を受けた。担任の先生から、額はすぐ切れるし血が出やすいところなんだよと言われたが、自分のしてしまったことに終始怯えっぱなしだった。その日の夜、僕のうちに相手の親から電話がかかってきて、無論こっぴどく叱られた。電話の向こうのおじさんはとても怖くて、受話器を通して迫力が伝わってきた。どうして息子に暴力をふるったんだ? という質問には答えず、僕はずっと下唇を噛んで我慢した。スーパーの陳列棚の整頓をしている母の真似をされたから、とは答えたくなかった。台所で耳をすませているであろう母に、そのことを知られたくなかった。
電話を終えて台所に戻ると、いきなり母に頬を引っぱたかれた。すぐさま抱き締められた。約束破ってごめんなさい、と僕は謝ったが、母は腕の力を強めるばかりで口をつぐんでいた。
翌日の日曜日、僕は母に連れられてクラスメートの家に行った。その場でもおじさんに、ひどく叱られた。母もぺこぺこ頭を下げていた。そしてその帰り道、僕はとうとう、怪我させちゃったのは悪いけど、あっちの方も本当は悪いんだよと言ってしまった。母は薄く笑って、分かってる、と言った。じゃあ、どうしてあんなに謝るの?そう訊くと、母は予め用意していたかのように、どっちも反発し合ったままじゃ、一向に解決しないでしょ、と答えた。謝る人がいないと世界のバランスがおかしくなっちゃうでしょ、と。随分大げさな言い回しだったけれど、僕は何となくその言葉に、母の人に対する思いやりが込められているようで誇らしかった。
それからというもの、僕は母との数々の約束を守ってきた。母が亡くなっても、むしろしっかりしようと自分に言い聞かせてきた。母との約束があったからこそ、僕はルールを乱さずにやってこれたのだと思う。約束、という言葉の裏側にはいつも母の温もりが宿っていて、お祖母さんのうちで暮らすようになってからも、その温もりが胸の内から消えることも冷めることもなかった。僕が約束を守り続けている以上、母はどこにも行かない、そう思っていた。
友達と喧嘩をしてはいけません。ちゃんと相手の目を見て話しましょう。人を指差して笑うのはやめましょう。一緒にいて楽しい人は大切にしましょう。苦しい時は苦しいと素直に声に出しましょう……。
母からの、人生を生きやすくする虎の巻。今でも時々、思い出しては呟いている。
約束というものは、決して縛りつけるものでも縛りつけられるものでもないと思う。それを通して人と人、社会と社会を繋げていくものだと思う。母が喧嘩を好まない理由、人を思いやる理由、そういった気持ちが今、とてもよく分かるのだ。